隊長の屋外な日々

 

4月29日 KOCCi東お多福山トレイルラン講習会


ホントなら、今年のGWも、とれとれレイドオブシディアンで、島根出雲から広島岩国までのロングとれとれを楽む予定だったのだが、首がポッキリ。
予定していたスケジュールは全て吹っ飛び、悲しい黄金週間を向かえる事、決定・・・だったところに、三重県のとれとれ&アドベンチャー仲間の三ツ俣氏からメールが入った。

田中正人さん(アドベンチャーレース国内第一人者)が、トレイルラン講習会を関西でやるらしいので出ませんか?との事。
ま、僕はこんな状態なので、当然トレランなんかは無理なのだが、どうせヒマなので「もし、スタッフが必要ならお手伝いしますよ〜。と、お伝え下さい。」と返事をしておいた。

それが後日、どう伝わったのか、『川口が「ヒマなのでどうしてもスタッフやらせろ!」と言ってるから、そんな仕事も無いけどそこまで言うなら来ても良いよ。ノーギャラで。』という事になり、今日は、押し掛けスタッフである。(笑)

イーストウインドの田中正人さんについてはHPを見てもらう事にして、とりあえず、トレラン講習会なのに靴を忘れた三ツ俣氏と合流し、車で集合場所である阪急岡本駅へ。
「駅前のサンマルクでスタッフミーティングしてるから。」との、すーさん(イーストウインドの実務担当および正人さんの奥さん)からの電話で、行ってみると、なにやら人が大勢いた。
スタッフとも選手ともわからない感じ・・・中には、スーツの人も一名。
ま、この理由は後でわかるのだが。

さて、三ツ俣氏の靴は、すーさんのを借りられて無事解決。
集合時間も近づき、徐々に人が集まってきた。
去年一緒にアドベンチャーレースでチームを組み、この3日前に別のトレランの大会で顔着し前歯を二本失った「まなじ〜」と、かたやその日は東京でハセツネ30キロ(トレラン)に出場し女子8位(30代では2位)のすばらしい成績を叩き出した「松もっちゃん」もやってきて、本日のエントリーは総勢18名。
中には、先日惜しくも解散してしまった名門トライアスロンチームテイケイ所属だった、久保田さん(女子)や、田山さん(日本人初のワールドカップ優勝者(男子))がいるかと思えば、初心者でジャージ姿の大学生など、バラエティ豊かな面々。

駅前は広いところが無いので、山麓の神社まで移動し、ランスタート前から熱い講習。
僕とすーさんは、車である程度の所までアプローチ、中間点に待機する事になった。

さて、イーストウインドは、アドベンチャーレスを始めたい人のための色々な講習会を開いているのだが、そのチームを『KOCCi(こち)』という。(「こち」とはイーストウインドの和音「東風」の古文読み。)
普段は、イーストウインドの地元である群馬県水上を中心に活動しているのだが、今回は、そのKOCCiの初めての関西でのイベントだ。
では、なぜ関西??という事なのだが、これには理由があった。
今回の企画、関西でアドベンチャーレースを企画したい!と思い立った発起人の方々がいて、その人が直接田中さんに連絡し実現したイベントだったのである。
元テイケイの久保田さんや田山さんが来ているのも、この人たちのカラミらしい。
実は、先月にも田中さんを招き、懸垂下降などの講習を行っていたそうだ。
そして彼らは、今年のARJSの三浦大会には3チームをエントリーさせる予定で、ゆくゆくは関西でアドベンチャーレースを開催するところまで持っていきたい・・・という、大いなる野望(?)を持っているらしいのである。
確かに、アドベンチャーレースは、開催のほとんどが関東圏であり、関西では数が少ない・・というか、ほぼ無い。
結果的に、アドベンチャーレーサーも関東圏に人口が集中しており、地方での大会では、エントリーを確保するのも大変な状態で、実際、開催できるかどうかも、関東圏のチームがどれだけその地域まで来てくれるかに依存しているような状況でもある。
日本第2の都市圏(?)である関西でアドベンチャーレースが無いのは、関西でレースが無かったからなのか、関西人に向かないスポーツだったからなのかはわからないが、もし今後関西で開催が実現するなら、これはかなり興味深い事である。

さて、話を戻して、本日のコースは東お多福山のピストンコース。
僕とすーさんは、芦屋カンツリー倶楽部付近のコース上に待機。
今日は、講習がメインなので、距離は12キロ程度なのだが、 たぶん正人さんトークに熱が入りまくりで、なかなか来ない。
やっと合流し、東お多福山に送り出し、今度は保久良神社の方から、金鳥山の方にコースを逆に辿り、降りてくるのを待つ。
横ノ池からはランニングのテクニックだけではなく、読図も混ぜて講習するという事で、皆さんには高度計付きの腕時計やコンパスが貸し出され、僕が一団に合流した時には、トレランではなく、もうすでに読図アドベンチャーレース講習会になっていた。(笑)

最後は、発起人の方々と、山手幹線沿いの王将で食事&親睦を深めて解散。

僕は一部分しか見れなかったが、 今回の講習会、かなり広範囲に盛りだくさんの内容ではなかったかと思う。
今後も、関西でKOCCi主催のアドベンチャーレース系の講習会は開催される予定。
さて、この関西アドベンチャーレース企画、今後どう動くのか、期待である。

 

 

 

4月28日 この4年。


さて、話を戻して、僕が日記が止まってた間、何をしていたか・・・

と言っても、相変わらず、自分では滞り無く節操無く色んな事に手を出し続けてはいたのだが、さすがに4年も前の事になると、よくは思い出せない。
とりあえず、前の日記を読み返してみると、日記の最後は、2005年7月16日のセルフディスカバリーアドベンチャーレースだった。

なるほど。

確かに、その頃から、遊びの方が加速度的に忙しくなってきたような気がする。
多い月には、毎週、どこかに遠征し、何らかの大会やアクティビティに参加していた。
アドベンチャーレース、ドラゴンボート、ラフティング、カヤック、シーカヤック、ロッククライミング、シャワークライミング、オリエンテーリング、ロゲイン、トレイルランニング、山岳グランフォンド、ブルベ、とれとれ(MTB)、バックカントリーボード・・・他にも色々あったような気がするが・・・
その中でも、 僕が特に気合いを入れてやっていたのが、「とれとればいく」と「アドベンチャーレース」である。
どちらも、究極なくらいにマニアックなマイナースポーツなのだが・・・。

まずは、とれとればいく
「とれとればいく」とは、地図を見ながら指定されたコースをMTBでトレースする、マップリーディング系の遊び。簡単に言うと、MTBを使ったオリエンテーリングのような競技である。
以前の日記で書いたと思うが、2005年の北摂ラリーにスタッフで参加し、この競技に興味を持って、実は翌年、日記中での宣言通り北摂ラリーに参加した。
結果は、あえなく玉砕。(といっても、完全完走38名中5名という過酷な大会だったが(笑))
しかし、今や、自他共に認める、とれとれアホアホ教の熱心な信者である。(写真は、2008年、愛知クローバーラリーで、藪漕ぎ中のひとコマ。)
開催シーズンは冬で、関東以西でシリーズ戦がありシーズンだいたい7戦くらい、ミニラリーはその倍くらい開催されているだろうか。
もう関東でも九州でも何処でも、大会とあらば行っちゃってるので、お陰様で、色んな所に知り合いも増えた。
最近は、ソコソコの成績も残せるようになってきて、ミニではEX(優勝)もさせてもらったし、シリーズ戦でもソリッド(二番目に名誉な賞。だが二位ではない(笑))もいただいた。
さらに、2008シーズンからは、コースクリエイト(大会主催)もやらせてもらい、ますます深みにはまっているしだいである。

そして、そのとれとれとの出会いが、僕をさらに深みへと・・・。(笑)

で、アドベンチャーレスである。
アドベンチャーレースの大きな特徴の一つに、チーム制というのがある。
だいたい日本の大会では3名で1チームである事が多いが、そこがこの競技に出るにあたっての大きなハードルでもあるのだ。
こんなマニアックなスポーツに出ようなんて人間、自分の周りで普通に3名探すだけでも大変である。
ところが、とれとれをやってる人には、アドベンチャーレーサーがやたらと多かった。
これは、ひとえに、アドベンチャーレースととれとれの面白いツボが似ているからに他ならないと思うのだが、 とれとれ上位の皆さんは、アドベンチャーレースでも上位表彰台に上る人達ばかりだったのである。

とれとれで、そこそこの成績を残せるようになって顔も売れてくると、こんな僕でもお呼びがかかるようになり、去年始まったアドベンチャーレーシングジャパンシリーズ(ARJS)では、何と、初戦の岐阜長良川大会で優勝。(タナボタ優勝だったが(笑))
第2戦の三浦大会3位、最終戦の富士山大会では4位となり、アドベンチャー界の名門「とれとれ東龍門チーム」に最終的には破れたものの、何とシリーズ2位を勝ち取ることが出来た。(写真は、ARJS第2戦神奈川三浦大会、シーカヤックセクション。)
ってまあ、エントリーチーム自体、少なかったというのもあるが。(笑)

そうこうしているうちに4年間。
出会いも色んな所で繋がり、今や、こっちの世界では、だいぶん認知してもらったように思う。
狭い世界なだけに、かなりの有名人(こっちの業界では)などとお知り合いにもなれたり。
とれとれやアドベンチャレースに出会って、少し人生変わったかもしれないなぁ・・・と、時々思ったりしちゃってるのである。

 

そして現在・・・。
今年の3月18日に、僕がメインクリエーターを務めた『ザビエルラリー』の最終コース調査中に落車。
頚椎を骨折し、全治3ヶ月(?)。
現在、首に巨大なカラーを巻いての、不自由な生活を送っている。
幸い、骨折といっても軽傷な方?のようで、運動障害などは無く、入院も回避できたが、アドベンチャーレースがシーズンインしていくのを、指をくわえて見ているしかない状況なのが、悲しい限りである。
仕事には支障がないのが、せめてもの救いか・・・。
しかし、この故障のお陰でHPがリニューアルされた・・・とも言える。(笑)

6月中旬には、いったん、カラーは取れる予定。
レース復帰はいつになりますやら。

 

 

 

4月27日 宮っ子


さて、この4年間のブランクを、どう説明したモノか・・・と、ボチボチ書き始めていたのだが、本日、ポストにこんなモノが入ってたので、急遽差し替え。(笑)

 

え〜、他の地域にもたぶんあると思うが、我が愛する西宮市にも地域情報紙というモノがある。
その名も『宮っ子』。
「みやっこ」と読む。
創刊から30周年を数える、なかなかの老舗情報誌である。
いつもポストに何となく入ってるので、呼んだり読まなかったり。
たいがいは、特に気にも留めないのだが、ちょっと、今回の表紙は目が釘付けになってしまった。

ん?水戸黄門ですか??
どうやら、撮影場所は、武庫川河川敷か?(しかも、コンクリート舗装の上)

 

 

助さん? 格さん?

 

 

うっかり八バア。(現行の水戸黄門では「おけらの新助」というらしいが)
右は、山野辺早月?(現行では、磯山さやかの役どころ担当か?・・・う〜む・・・。)

 

 

そして、外せないのが、風車の弥七。(風車がなければ、どこぞの傘貼り浪人である。)

どうやら、この団体、名を『樋ノ口寸劇一座』と言うらしい。

 

 

おっと、お待ちかね!?疾風のお娟(さすがに寸劇で入浴シーンは無いとは思うが・・・)

 

 

最後に、座長でもある黄門様!!(きっと撮影日は風が強かったのでしょう。)

そして力強いメッセージ。

いやぁ、ヤラれました・・・。

以下、宮っ子より抜粋
『樋ノ口寸劇一座は、演劇舞踊「菜菜の会」のメンバーが平成14年に旗揚げした、甲東地域で活躍しているボランティア劇団です。昼食会などで出前寄席をして、地域の人を楽しませています。最近では地域外からの出演依頼もあり、活動範囲も広がってきました。 演目は「瞼の母」や「花笠音頭」など多数あり、寸劇や舞踊、演奏と、芸も多彩です。衣装はすべて手作りで、小道具も創意工夫を凝らし、団員の皆さん楽しみながら活動しています。 黄門役は小さいころから芝居好きで一座を持つのが夢だったという樋口さん。これからも芸を磨いて将来は落語や漫才にも挑戦したいとのこと。「一座の芸が皆さんに幸せを運ぶことを願って出前寄席を続けています」と語ってくれました。』

今後、一層の活躍を期待せずにはおれません。

 

 

 

 

4月24日 とりあえず、こっそりHPリニューアル。


ごぶさたしております。(笑)
2005年7月から止まったままだったので、ほぼ4年ぶりですか・・・。

 

 

いやぁ〜〜〜〜〜〜この間、色々ありましたよ。
とりあえず、今の僕はこんな感じで。(苦笑

ま、そんなこんなで、また追々アップしてゆきますので、皆さん(ってどれだけの人が気が付くんだろうか・・)よろしくお願いします〜。

 

 

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