隊長の屋外な日々

 

 

1月22日 明神平。


夜中、北摂ラリーに向かって県道を走っている時だった。
ふと見た携帯に、I上ネーサンからの着信履歴を発見。

慌てて電話をかけると、彼女は、酔っていた。
いや、酩酊していたわけではない。(笑)
たまたま、S藤のダンナと飲んでいて、ちょっくら雪山でも・・・という話になったらしい。

『とまあ、そいうわけだから、よろしく!』

指令が下った。
2005年度、NOC始動である。

 

さて。
プランニングのご指名をいただいたところで、僕は、実はこの前の北海道で一つ気が付いてしまった事がある。
ゲレンデスキー(ボード)へのモチベーションが、もの凄く下がってしまっている・・のだ。
つまり、ゲレンデスキーか、雪山登山か・・と聞かれると、どうしても、登山の方が魅力的に思えてしまうのである。
もう、僕にとってのボードは、パウダーであり、バックカントリーと同義語になってしまいつつあるかも。
で、現時点でののオーダーは日帰り。
これでは、ゲレンデパウダーの望みも薄い(この時点では、まだ今シーズン、泊まりでNOCスキーツアーのチャンスが十分あると思っていた。)というわけで、微妙にスキーに未練のあるネーサンをねじ伏せつつ、直前の気圧配置、予想天気、個々の装備等を考慮し、途中、朽木の歩くスキーツアーまで検討するなどの紆余曲折を経て、目的地は、奈良県の明神平に決定した。

そして、今回は、我がNOC(西宮アウトドアクラブ)に、新しく入部希望者がいるらしいので、それのテスト(大袈裟である)も兼ねる事となった。
その珍しい(笑)御方は、S藤のダンナの家の隣で、小さな保育園を経営している保母さん。
名はF橋さんというらしい。
これで、今回のメンツは、そのF橋さんを含め、他に、S藤のダンナ、I上ネーサン、僕の4名である。

 

当日、朝8時にネーサンをJR西宮駅でピックアップし、西宮北口でS藤のダンナとF橋さんとご対面。
というか、まずは、遠巻きにF橋さんを見て、僕らは、車の中で少しビビった。
F橋さんの出で立ちは、まるで『もう100名山は全部2回以上登りましたね。』と言わんばかりの、激年季の入った(でも現役バリバリな)ザックやウエアーだったのである。
これでは、NOCの入部テストどころか、『何よ?このヘナチョコ登山は!』と、逆にダメ出しをされかねないではないか。

しかし、すぐにそのザックやウエアーは、お父さんからの借り物だったことが発覚。
ホッとしたところで、いざ、奈良へと向かった。


登山口の少し手前は、もう雪で白銀の世界だった。
去年末にスタッドレスタイヤを購入して、今回がこの車になって初の雪上走行である。
毎年の事ながら、シーズン最初の雪道走行は、緊張するよなぁ・・・などと思いつつ、間もなく、登山口前の駐車場に着いた。
さらに上の林道終点の駐車場を目指すが、倒木が道をふさいでいて断念。路肩に車を止め、アイゼンを付るなど、準備を開始した。

明神平は、奈良県と三重県の県境の台高山脈南部に位置する。
標高1432メートルの明神岳から北斜面に広がる、扇状のゆるやかな斜面である。
冬の霧氷なんかが有名で、積雪量もそんなに多くないので、冬山入門としては、手頃な山だ。
そしてこの明神平、何と実は、昭和30年代頃まで、スキー場があったらしい。
ただ、このスキー場、スキーヤーは、林道終点地点から1時間半も歩いてゲレンデまで行かねばならないという、今では考えられないような環境だったそうだ。(荷物は、荷揚げ用のリフトがあったようだが。)
それでも、交通網の発達が今ほどではなかった当時では、関西から日帰りで行けるスキー場として、貴重な存在だったのだろう。

なに?!つまり、廃スキー場ですか?

というわけで、今回は、秘かにボード持参。
無理矢理バックカントリーである。(笑)

 

しかし、とは言いつつ、今回ボードを持ち込むにあたって、一つ大きな問題があった。
通常、バックカントリースノーボードでは、ボードのブーツは履いて登る。(まあ、当たり前だ。)
ただ、このブーツというのが、もの凄く歩きにくいのである。(最近のボードのブーツは、スキーブーツのように固いのだ。まあ、歩くことを考えて作られた履き物ではないので、しょうがない。)
それでも、登りや平地は、まあ、何とかなる。 (いつも、バックカントリーでやっているしな。)
しかし、問題は下りである。
これが、シヌほど歩きにくいのだ。(というか、絶対転ぶ。)
しかも、背中にはボードを背負った・・・という不安定な出で立ちでは、とても無傷で下山できるとは思えない。
普通、白馬とかのバックカントリーでは、登ったら、滑って降りてくるので、(そのために登るんだから、当たり前である。)そういうシチュエーションになる事も無いが、ここ明神平では、たぶんそうはいかないだろう。(ブッシュが濃く、とても滑れなかったり、雪がなかったりするに違いない。)
ヘタしたら、ほとんど、歩いて降りてこなければならないかもしれないのである。
さすがに、スノーボードブーツで、1時間も山を歩いて降りてくるのは、かなり無謀に思われた。
で、何とかいい方法は無いモノか・・・と、色々調べていると、あるHPで、『冬用登山靴を履いてそのままボードのビンディングに取りつけてもけっこう滑れる。』というのを発見。
今後、関西のバックカントリーエリアに行くなら、こういうシチュエーションは避けて通れないだろう。
コレである。これ採用。
というわけで、梅田のロッジで、冬季モードの登山靴(写真。最近赤色好きなのである。)まで新調してしまった。(笑)
さて、どうなります事やら。

 

11時半、登山開始。

鍋の道具やら、具材やら、ボードやらで、ザックの重量は、15キロほどはありそうだ。
さすがに、重い。

一方、常に限界まで追い込まないと気が済まないネーサンは、相変わらず、エンジン全開。
しゃべりも足の回転も絶好調である。
それに煽られて、他の二人もけっこうなペースで、ガシガシ登っていく。
重いザックでペースが上がらない僕は、少々遅れ気味。
とても付いていけないので、マイペースで登る。

一度休憩を挟み、標高1000メートルを超えた辺りだろうか。
S藤のダンナとF橋さんのペースが落ちてきたのか、二人に追いついた。
どうやら、F橋さんがバテ気味のようだ。
そして、ネーサンはもう遙か彼方に行ってしまったらしい。(笑)

高度を上げるごとに、雪が深くなる。
霧氷が、かなりイイ感じである。

しかし、そんな風景とは裏腹に、F橋さんは、かなりグロッキー状態。
『ま、気楽に行ましょう。』と、休み休みしばらく登ると、分岐点で白銀の林をバックに、仁王立ちのネーサンが待っていた。
『荷物、なんぼか持とか?』と。
すると、F橋さん、出るわ出るわ。
缶入りの紅茶コーヒーセットや、全員分のおにぎり等。(笑)
(お気遣い、ありがとうございました。もちろん、大変ありがたく、おいしく頂戴いたしました〜。)

F橋さんも息を吹き返し、そこから明神平までは、そんなに時間はかからなかった。

 

明神平に着く。
真っ白な雪原。
西には、水墨画のような、色の無い黒い山々が連なっていて、何だか幻想的な風景だ。
ココは真っ白なのに、下界にはほとんど雪が無いのも、不思議な感じだった。
天理大学山小屋(非公開)の西側風下で昼食にする事にする。
穏やかな曇り空だが、さすがに遮るモノがないと、風はそこそこ強い。

今日の昼食は、キムチ鍋・・と、F橋さんが作ってきてくれた、おにぎり。
ウメエウメエと食いつつ、僕は辺りを見回し、スノーボードで滑れそうな斜面を物色していた。

スキー場の残骸である、おそらくTバーリフトだったであろう支柱が所々に残っている。
北側の水無山も考えたが、ブッシュが濃そうなので、南側の明神岳の元スキー場だったらしいオープンバーンを滑ることにした。
S藤のダンナとF橋さんには、ちょいと休んでいてもらい、ネーサンには、スノーシューで有り余った体力の消化に勤しんでもらう事にして、僕はボードを手に持って、空身で壺足で登る。
積雪も少なく(1メートルも無いだろう)、雪も締まっているので、 登山者が歩いたトレースを歩けば全く問題なく、アッという間に最上部に着いた。

眼下に、さっきまで、飯を食っていた小屋が見える。といっても、2〜300メートルか。
トレースを外れると、それでも、膝くらいまでは、ズッポリ、雪に埋まった。
エエ感じである。
激パウダーとまではいかないが、このエリアにしては、上々の雪質ではないだろうか。

 

一気にドロップ。
アッという間に、ボトムまで。(笑)

 

麓には、寒さに震えるS藤のダンナとF橋さんが、お待ちかねだった。
滑れたのは、一本だけだったが、けっこうコレはコレで満足。
記念撮影をして、さっさと下山の途につく。
というか、いやいや、下山も、極力ボードを履いて、チャレンジである。

が、さすがに、関西のバックカントリーは手強い。
固い雪と、濃いブッシュに阻まれ、なかなか、思うように滑れない。
しかも足下は、操作性の悪い登山靴。
一方、残りの3人は、ルートをショートカットする『雪面ケツ滑り』で大はしゃぎである。
結局、ボードが真価を発揮したのは、ほとんど下山し、林道に出てからだった。

いやいや、しかし、気持ようございました。
今年、初バックカントリーでしたな〜。

 

車に乗り込み、最寄りの『やはた温泉』へ。
さっぱりと汗を流し、帰阪。
西宮北口の中華料理屋で乾杯し、NOC活動初め、および新人歓迎の宴とした。

皆さん、お疲れさまでした〜。
本年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

1月15日 北摂ラリー。


北摂ラリー。

いや、『ラリー』といっても、車が林道を爆走するわけではない。
正確に言うと、『とれとればいく04〜05シリーズ戦/Rd.3S 北摂ラリー2005』。
『とれとればいく』とは、『トレイル・トレース・バイキング』の略。
トレイル(小径)・トレース(辿る)・バイキング(自転車遊び)。
カテゴリー的には、『MTBラリーレイド』に分類される。
オフィシャルの定義によると、『とれとればいく』とは、『コースクリエイターが探したトレイルを、2万5千分の1地形図で表現し、ブリーフィングで要点を説明して、PC順にルートを回るマップリーディング系の遊び』とある。

といっても、さっぱりわからんでしょうな。(笑)

つまりまあ、簡単に言うと、マウンテンバイクを使ったオリエンテーリングである。(最初からそう言えって?)

 

『とれとれ北摂ラリーのオフィシャルのお手伝いをしませんか?』
仁川の自転車屋『ムーンテイル』のS藤店長から、そんなお誘いを受けたのは、去年の秋頃だった。
何事も、『とりあえずイッチョカミ』をモットーとしている僕が、そんな面白そうなお誘いを断るわけはなく、年も明けた1月14日の晩、僕は、北摂ラリーの本拠地となる奥猪名健康の里を目指して、車を走らせていた。

北摂ラリーは、2004-2005シーズンで全7戦あるとれとれシリーズ戦の、第3回目。
とれとれは、北は群馬県〜南は熊本まで、各大会2日間、全8戦(今年は7戦)で行われるシリーズ戦である。
しかし、シリーズ戦と言いつつ、運営は『ブランチ』と呼ばれる各地方組織にまかされ、コーディネーターと呼ばれる地元のトレイルを知り尽くしたメンバーが、コースを決定、大会を運営する。
そして、参加者は、だいたいどの大会も50〜60名前後・・・という、まったく手作りな大会である。(当然、スポンサーなんかは付いていない。)

そして、この関西で行われる『北摂ラリー』を仕切っているのが関西のバイカーから『教祖様』とも『変態』とも賞される、S川氏である。
何と彼は、自称プロのルートコーディネーター。
過去には、ノーステイクというMTBチームの頭として、『関西MTBツーリングブック』という本まで出している、関西のトレイル界では草分け的存在である。(→去年の台風で、コースに木が大量に倒れ、今回のルート作りは、鋸を持っての格闘だったらしい。しかし・・怪しい。(笑))
実はこの本、僕も持っている。
もう15年くらい前だったかなぁ・・・ クソ重たいフルリジットのバイクを担ぎ、この本を片手に、北摂のトレイルを走っていたっけ。
ちなみに、この北摂ラリー、今年で12回目を数え、スタートした当時は、日本初のMTBラリーレイドとして注目を集めた、由緒正しき大会なのである。

 

奥猪名健康の里に着いたのは、夜中の11時頃だった。
携帯電話がまったく通じなくて、玄関には鍵が掛かっており、入り口がわからず、苦労する。
そして、入ってみると、中は、宴の真っ最中だった。
関東で仕事を終えて、車をトばして来た選手達が、まだまだ続々とやって来る。
見ていると、ほとんど知り合いのような感じで、ココはオフ会か?と思ってしまうほど、『あれ?「ザッツ」はまだ来てないの?』とか『「ドウブツクン」なら、さっき下で見たよ。』なんて、みんな謎の愛称で呼び合っている。
聞いてみると、だいたい、シリーズ全戦、ほとんどこの同じメンバーで各地をまわっているそうだ。
大会というより、ファミリーに近いかも。
う〜む、マニアック。(笑)
サスガの僕でも、そんな酔っぱらい連中の中に飛びこむ勇気は無く、本日は、S藤店長と、おとなしく布団の上でビールを飲んで寝ることにした。

 

翌朝、6時起床。
昨晩の宴はどうやら、午前3時頃まで続いたらしい。
天候は曇り。一昨日に降った雪が、まだ所々残っている。

朝食を摂り、7時半頃からブリーフィング開始。
ブリーフィングとは、本日設定されたコースが記載された二万五千分の一の地形図を受け取り、それにコーディネーターが説明をするというもの。
『ココに○○山の標識があるので、そこを右に行ってください。』とか、『このチェックポイントは、北から入ってこないと減点です。』とか、コースのキモが説明され、選手達は、それを赤ペンで自分の地図に書き込んでいく。
同時に、『その角を曲がった所に、スクーターが捨ててあるので、その名前を覚えてきてください。』とか、『ここのカーブミラーの裏の黄色いテープに文字が書き込んであるので、それを見てきてください。』等、オリエンテーリング的なQP(クエスチョン・ポイント)の説明もある。
そして、タイムも含め、それらの総合ポイントで、勝敗を決めるのである。
S川氏の独特の言い回しで、終止笑いの絶えない和やかなブリーフィングであった。

ブリーフィングが終わると、スタッフのミーティング。
僕とS藤店長は、最終の第4PC(ポイントコントロール。 チェックポイントの事ですな。)を担当する事になった。
現地の写真を渡され、PCのやり方の説明を受ける。
なにぶん、始めての経験なので、まずは最初は、第2PCに行き、お手伝いをする事にした。

 

スタート予定時間は9時。
選手達は思い思いに準備をしている。
今回の参加者は、全部で55名。そのうち、10名が女性だった。
この大会に集まっているのは、かなりハードコアなバイカーばかりだと聞いていたので、この女性の多さには、ちょっと驚いた。
ちなみに、一昨年は、コースの難易度を上げすぎて、完走者が全体の20パーセントだったそうだ。
で、去年はその反省をふまえて、難易度を落としたら、70パーセントくらいが完走してしまい、今度は、選手から『簡単すぎる!』と、ブーイングが出たらしい。(笑)
だいたい50パーセントくらいの完走率を目指しているらしいが、まあ、パリダカ並の完走率と言えば、この大会の過酷さがわかってもらえるだろうか。

9時10分前、デパール(スタート)。
55名のバイカーが、本日のアリベ(ゴール)を目指す。

本日のコースは、奥猪名健康の里をスタートし、南下。
猪名川変電所脇を抜け、剣尾山のピークへ。
そこから大川内上の別荘地を抜け、半国山をかすめ、西へ向かう。
宮前町から、オンロードを南下、本梅町南加舎からトレイルに入り、倉板へ。
そこからまたオンロードを東へ移動し、最後のトレイルを、長谷から猪名川変電所方面に抜け、スタート地点の奥猪名健康の里に戻ってくる、およそ50キロだ。
ただでさえ、トレイルの50キロは、ハードである。
しかも、恐らく登りの半分以上はバイクを担いで登る事になるだろう。
いや、下りだって担ぐ場面は、けっして少なくないはずである。
過酷な一日の始まりだ。

スタートを見届けた後、バナナやドリンク等のエイドアイテムを受け取り、我々は、車にてPC2へ向かった。

 

少々道に迷いつつ、PC2に到着。
PC2は、西宮のモリサイクルさんが道具を提供し、豚汁やクラムチャウダーが用意され、女性スタッフが3人もいて、なかなかに華やかだった。
せっかくなので、持ってきたMTBに乗って、その辺を散策したり、豚汁なんかをいただきつつ、選手の到着を待つ。
天気はいつしか、雨に変わりつつあった。

11時10分頃だったか、先頭集団到着。
そこから第二集団がやって来るまでに1時間ほどかかった。
予想どおり、剣尾山は、ほぼオール担ぎ。
下りも、その他、地図上では乗って走れそうだと思われた緩斜面も、実は コースが荒れていて、思った以上に乗れないらしい。
早くも、コーディネーターS川氏に対する、恨み節が聞こえる。(笑)
しかしそれにしても、PC2で、もう1時間のマージン。
先頭集団の連中は、さすがに強い。

しかし、この『とれとれ』というレース、体力ばかりが全てだというわけでは、決してない。
完走するには、読図能力も、かなりのウエイトを占めてくるのである。
実際、ここまでは、わかりやすい道で、ルートをロスト(道に迷った)した選手はいなかったようだが、この後、別荘地街から、半国山方面へ入る所で、かなりの選手がルートをロストしたらしい。

さてここで、道に迷った時の選手達の対応が、いかにも『とれとれ的』で面白い。
普通、山で道に迷ったら、来た道をわかるところまで戻るのが鉄則であり、ほとんどの人がそうするだろうが、彼らは違うのだ。
まず、地形図を読んで、自転車を担いで、目的地に向かって、道無き道を真っ直ぐ登っていってしまうのである。
僕も、時々、山で道に迷ったときにやることがあるが、まさに山屋さん的発想。
もちろん、途中でブッシュに阻まれ、にっちもさっちもいかなくなり(あんなにかさばるモノを担いで藪漕ぎするのだ、当然である。)前輪と後輪を外して、一旦降りた・・・なんて事もザラらしい。
結局速いのかどうなのかはわからないが、しかし、これも『とれとれ』の正攻法の一つ。
ショートカットは大歓迎。
とりあえず、PCとQPを正確に通過していればいいわけで、その課程は特に問わないのだ。

 

14時頃に、第4PCへ移動。
雨の降りしきる中、苦労してタープを張り、PCのセッティング。
雨はドンドン強くなり、もう、土砂降りと言ってもいいくらいになってきた。

そして、そんな中、先頭の選手が到着。
その後、すぐ、3〜4人がやって来た。
ホットココアと、バナナでお出迎え。
コレが恐らく、先頭集団。 シリーズ戦でも上位を争っている選手達だろう。

しかし、ここからが長かった。
待てども待てども、後続が来ないのである。
PC2で1時間も開いていたのだから、まあ、その差がさらに開いていても、何の不思議もないのだが・・・。

薄暗くなってきたので、ランタンを点ける。
今回提供されたジャパンで買ったという、超安物タープは、新品だったにもかかわらず、雨が駄々漏れで、無いよりかはマシ・・といったレベル。(苦笑)

結局、次の選手が来たのは、1時間半後の17時前だった。
その後、パラパラと、選手がやって来る。
マップホルダーが折れている人、バイクが破損しつつも何とか走っている人、事故って顔を腫らしている人、当然、全選手ずぶ濡れで、まさに満身創痍である。
しかし、ココからはもうオンロードを、アリベまで頑張るのみだ。
S川氏が様子を見にやって来て、途中で、タイムオーバーや、マシントラブルでのリタイヤ、S川氏の判断で完走不能と判断され、強制リタイヤとなった(もしくは、これからなる)選手の情報が入り、現在走っている選手の具体数が明らかになった。

結局現在、PC3とPC4の間に走っている選手は、恐らく残り5名。
もう辺りはすっかり闇に支配された感じ。霧も出てきた。
そんな真っ暗な森の中に、じっと目をコラしていると、青白いLEDライトの光が、ぽっつりと見える。
思わず、雨の中を出迎える。『お疲れ様〜〜〜!』
ココアを振る舞いながら、他の選手の情報を尋ねてみると・・・
『え?ザッツ、まだ来てないの?』『イトマサも?』
どうやら、二人の選手が、この山で大幅にコースをロストしてしまっているようだ。
彼の話だと、この二人はもうとっくに着いていてもおかしくないくらい、先行していたらしい。

他のPCを撤収して、スタッフがPC4に集まってきた。
時間はもう、18時をまわっている。
残りまだ走っている選手は、例の二人のみ。
S川氏と協議した結果、捜索隊が出される事になった。

合羽を着込み、さて行くぞ!・・・とその時だ。
『アホーーーーーッ!!』とS川氏が叫び、森の中に消えていった。
何だ何だ???(笑)

いや・・・降りてきたのか??
おお〜〜〜っ!! 無事下山ですか〜〜〜っ!!!

急いで湯を沸かし、ココアを作る。
後でわかったのだが、この『あほ〜っ』のかけ声は、北摂ラリーでは、共通言語となっているようだ。
詳しいいきさつは、不明。
ただ、とれとれの表彰は、トップでゴールの『EXラーリスト賞』と、ルートを間違えず堅実に走った人の『ソリッドバイカー賞』、最下位から2番目の『ブービーバイカー賞』と決まっているのだが、北摂ラリーには、ブービーが『迷惑で賞』という名前になり、オリジナルの賞に、『アホで賞』というのがあるらしい。
まさに、S川教祖様のセンスがにじみ出る賞ですなぁ。(笑)

そして、僕はこの『あほ〜っ』が、北摂ラリーのキーワードになっている気がするのである。
選手達は、この酔狂なレースを、自らを『あほ』と呼び、大いに楽しんでいるのだ。

 

二人を送り出し、第4PC撤収。
アリベの奥猪名健康の里に戻り、温泉で冷えた身体を温める。
そして、皆さんと、今日のレースを振り返りつつ、夕食。
レースは明日もあるのだが、僕のお手伝いは、本日のみ。
帰路に就きつつ、そして、来シーズンは是非僕も、この『あほ』の仲間入りをしたい。
そう思ほど、コレは何だか妖しい魅力を放つ大会であった。

完走率、約55パーセント。そのうち女性は1名。
いやいや、ホンマに、皆さん、お疲れさまでした〜。

 

 

 

1月8.9.10日 北海道スノーボード2005。


(未だに、こんな前の話で申し訳ないが。(3/25現在))
新年早々、今年も北海道に行って来た。

毎年恒例、激ウマ激安スノーボードツアーである。
お世話になったのは、今年も、JALトラベル札幌スペシャル。
二泊三日で、朝食、スキー場までの送迎&リフト一日券付きで何と、一名約32000円也。
全国的に三連休なこの日程でこの値段は、とにかく『破格』である。

しかし、スノーボードツアーと言っても、最近は回数を重ねるごとに、滑りよりも『食い』に目的が移りつつあるよなぁ。
その証拠に、今回は、何と、滑るのは中日一日のみ。(笑)
メインは明らかに、初日と二日目の晩のススキノメシである。

そして、今回のもう一つのメイン。
それが、エガケン、北海道初上陸である。
思えば彼は、一昨年は入院中。 去年は千歳が吹雪で飛行機が飛ばず、当日に中止。
南国宮崎県育ちの彼は、とにかく、北海道に縁が無かった・・・。
彼にとって、北海道の地を踏むことは、足かけ三年の悲願なのである。

でもま、今年こそは大丈夫であろう。三度目の正直ってヤツだ。
そう思いつつ、出発3日前、近所のヤマト運輸にスキー宅急便を持っていってから、ふとヤフーの天気予報を覗いてみると、 何と今年も、出発当日の北海道は、猛吹雪の予報ではないか。
しかも、ただの雪ではない、『こんなマーク初めて見るぞ!?』ってーなくらいの駄々降りマークなのである。(雪ダルマが泣いているのだ。)
急いで、さっき預けたスキー宅急便を回収に行った。
このまま飛行機が飛ばなかったら、スノーボードだけ北海道行き・・・という悲しい結末になってしまうのだ。(実は去年のエガケン(エガガ)はそうだった。)

エガケンピンチ!?

 

で、当日。

あっさり、飛行機は飛んだ。(笑)

前日、天気予報も普通の雪マークになり、実際行ってみると、新千歳は曇り。
何のことは無かった。
格安ツアーなので、千歳から電車に乗り、札幌に着いたら、もう辺りは夕暮れ。
北の大地の日没は早い。

ホテルにチェックインし、前もって調べておいた、最寄りの銭湯に行く。
何か知らんが、コレもほぼ恒例事業。
気温は、マイナス10度近く。
凍った路面に足を滑らせ、エガケン、転倒。
とりあえず、初っぱなの、北海道の洗礼を受ける。
濡れたタオルを振り回していると、棒のように固まると言う話だったので、試しにやってみたが、まあ確かに微妙に固まった・・・と報告しておこう。

熱めのお湯で十分温まった後は、メインのススキノ晩飯である。
札幌放送勤務のポル氏から前もって得ていた膨大な情報群の中から、居酒屋大助をピクアップ。
もの凄くオンボロの雑居ビルの、オンボロエレベーターに、恐る恐る乗ると、大助は、普通に綺麗な普通の居酒屋だった。
いや、見た目は普通だが、そりゃあア〜タ、ココは北海道。
ネタは新鮮。激ウマである。
刺身の盛り合わせ、定番のホッケ等、北海道の幸を、テーブル狭しとオーダーしまくる。
嬉しいことに、このお店、生ビールもサッポロ限定、サッポロクラシック。
本場で飲むビールも、コレまた絶品。
ほろ酔いになってきたところで、 レトロなお店の雰囲気にもほだされて、80年代音楽の話なんかに、花が咲く。
その勢いで、2年に一度くらいしか行かないカラオケへ。(爆笑)
『エガケンライブinススキノ』としゃれ込む?事にした。

最寄りのカラオケボックスの、またまた、『大丈夫か?』と思うほど、オンボロの雑居ビル(さっきとは別)のオンボロエレベーターに乗る。
『ボッタクリの街、ススキノ』という言葉が頭をちらつきつつ、扉が開くと、そこは、最新設備の、バカでかいカラオケボックスだった。
ススキノって、こういう所なのね・・・。

その後のエガケンライブが、大盛上がりだったのは、言うまでもない。
テーマが80年代だったので、エガケンサンバは無かったが、そこは、サスガはエガケン。
希代のエンターティナーぶりを、いかんなく発揮し、エガケン旋風が、ススキノを局地的に吹き荒れた。

いやぁ、久しぶりに聴きましたよ。『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ〜♪』(ここはススキノだけど。)

 

翌日は、札幌国際スキー場へ。
朝は晴れていたが、昼前頃から、雪。
けっこう人が多く、バーンは荒れ気味。(もちろん、北海道だけに、雪質はいいんだけどねぇ。)
昔の札幌国際は、もっと空いてたような気がするのだが。

以上、ゲレンデリポート、終わり。(笑)

 

さて、宿に帰って、本日も銭湯に行き、本日も・・・エガケン転倒。(結局、エガケンは、札幌で計3回のダウンを喫した。)

そして、本日のススキノご飯は、ジンギスカンである。
本家本元の『ダルマ』は混んでいるだろう・・・と言うことで、ホテルのロビーのパソコンで、散々検索したあげく、結局、ホテルマンのニーチャンのお勧めの『開拓屋』に行くことになった。

ダルマは、予想通り、長蛇の列だった。
『開拓屋』も、しばらく待たねばならなかったのだが、さすがに、マイナス10度近い外で待つのは辛い。
その点、こっちは中に入れたので、まだずいぶんマシだった。
待つこと約30分。

ところで、ジンギスカンと言っても、ここススキノ本式は、皆様が想像するタレ漬けジンギスカンとは、少し違う。
席は、カウンターのみ。
まん中が盛り上がったジンギスカン鍋(といっても鉄板だが)の下には七輪。
そのてっぺんに、脂身を乗せ、流れ出た油の上にプレーンで新鮮なラム肉を乗せ、焼く。それだけ。
要するに、ラム肉の焼き肉である。
『え〜? でも、羊でしょ? 臭いんちゃうん?!』
そう思われる方もおられるに違いない・・・というか、これが関西での、羊に対する一般的な評価である。
しかし、 マトンはけっこうクセがあるが、この新鮮なラム肉というのは、まったくクセ無し。
いや、というか、ぶっちゃけ、かなり美味いのである。
しかも、羊肉はコレステロールが低く、体内の脂肪燃焼を助けるアミノ酸『カルニチン』や、鉄分カルシウム等を多く含む、ヘルシーな食材。
そして、このジンギスカン。
今、秘かにブームの兆しがあるらしい。
実は、去年、東京都内でオープンしたジンギスカン専門店は、10店舗を越えると言われている。
まさに、今をときめくお洒落な料理なのである。

さて、お味の方はと申しますと・・・。
もちろん、激ウマ。
ダルマよりは、もう少しあっさり系だったかな。

ジンギスカンで満腹になり、ほぼ今回のノルマを終えたかのような達成感に浸りつつ、宿へ。

しかし、エガケンには、まだ一つやり残した事があった。
札幌といえば、ラーメンではないか。と。

禁断の、深夜のラーメンである。
しかし、行かねばなるまい。
なにしろ、天下のエンターティナー『エガケン様』のおっしゃる事である。
たとえそれが、3月にフルマラソンを控えた、絶対に増量不可の身体であってもだ。(笑)

で、またもやススキノへ出向き、行ったのは、山岡家。
勢い込んだわりには、有名店の『欅』とかではなく、普通に北海道でチェーン展開しているラーメン屋である。(欅は、激混み長蛇の列なのよ。)
ラーメン業界には、横浜を中心に、俗に言う『家系』(○○家)というラーメン店があり、クオリティの高さで評判を呼んでいるらしいが、ま、その家系については、また後日詳しく書くとして、一応、ココもその家系に属するようだ。(北海道なのに・・)
というか、こんな所で、横浜家系ラーメンを食って、思いは遂げられるのか?と言う気もするが、北海道でも人気の店らしいので、まあ、エエかと。
でもま、北海道と言えば味噌だろう・・と短絡的に、醤油が基本の家系ラーメンではなく、特製味噌ネギラーメンをオーダー。(なんか中途半端だな。(笑))
しかし、麺はストレート太め・・と、家系の基本は押さえてある。
そしてスープは、といいますと、トンコツに白味噌ベースと、なかなかに、複雑で楽しめる味だった。
思った以上に、けっこうイケるお味でしたな。

もしかして、昨晩の『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』は、この家系ラーメンの複線だったのか?(笑)

満腹に満腹を重ね、もうこれで、エガケン的にも、北海道に思い残すことはない・・・と、ホテルへ帰り就寝。
実は、僕がザックをスキー場帰りのバスの中に置き忘れるというハプニングもあったが、翌朝には無事しっかり戻ってきて、朝一から千歳に行き、ツアーに付いていた(!)2500円分のお土産クーポンで、土産をしっかり買い込み、北海道を後にした。

いやぁ・・・今年も格安、ウマウマでしたな〜。
エガケン様も、満足されまくったに違いないでしょう!?

皆さん、お疲れさまでした〜。

 

 

 

1月1日 謹賀新年。


『巷は、もう2月も後半に入ったというのに、未だ「賀正」なこの日記を、お許しくだせぇ。』

というわけで、あらためまして
『あけましておめでとうございます。』(笑)

 

『正月正月と世の中騒ぐが、いつもと同じ24時間、日が沈みまた登る、タダの一日ではないか。
 特別な感慨などあるわけがないし、「一年の計は元旦にあり。」なんてその日に合わせて何かと準備をし て、物事を始めるくらいなら、そう思った今、すぐ始めればよい。
 あの意味不明の、しめ飾りや門松も、金の無駄遣いである。
 というか、どこの誰だか知らんヤツが勝手に決めた「お正月」に、そんなに振り回わされて、みんなアホ ちゃうか?』

と、話の途中で、いきなり唐突で申し訳ないが、物心付いた小学4年生頃、僕はお正月について、こういう意見を持っていた。
当然、あえて、年賀状も出していなかったなぁ。
今考えれば、大掃除や年賀状を書くのが面倒くさかったり、おせち料理が嫌いなだけだったような気もするが。

しかし、こんなヒネクレた子供も、歳を重ねるごとに、ある意味、柔軟(いいかげん)になり、今では、年末には年賀状制作に苦悶するまでに、大人になった。(大掃除は、未だに、中途半端だが。)

で、今年は、大人になったついでに、さらに一歩踏み込んで、人生38年の禁を破り『年始の目標』なるモノを立ててみようと。
そう思ったのである。

その、今年の目標とは・・・・・

 

『泳げる男になる!!!』

である。

 

断っておくが、僕は決して、泳げないわけではない。
というか、むしろ、小学生の頃は、得意な方だった。
未だに僕の、止まらず泳ぎ続けた最長記録は、小学4年生の時の『750メートル』である。
それは、当時、学年でもトップファイブに入る記録だったと記憶している。
(半分くらい犬かきだったけど。)

そして、高校に入っても、まだ、クロールなんかは、けっこう速いほうだった。(100メートル以上泳いだことは無かったが。)

しかし、いつからだろうか。
泳ぐことをしなくなったのは・・・。
そういえば、もう関西に住んで20年を越えたが、未だに、夏の須磨ビーチには行ったことがない。

というか、基本的に、僕は泳ぐのが好きではなかったのだろう。
まず、着替えたり濡れたりするのが、面倒くさい。(密漁や狩猟系となると話は別だが。)
あと、肌がかなり日焼けに弱く、すぐに真っ赤になり水ぶくれになってしまう。
それと、高所恐怖症である。(一見関係なさそうだが、僕の中では、深いと高いはほぼ同義語なのだ。)
そして何より、僕は冷たいのが嫌いであった。(寒いのは、別に嫌いではないのだが。)
真夏の炎天下、どんだけドロドロに汗にまみれようとも、冷たいプールや海に入るのには、もの凄く時間がかかってしまう。
せっかく来たので水に入ろうとするのだが、水深が太股くらいの所にきたあたりで、もう汗も引き『もういいかな?浸からなくても。』という気分なってしまうのである。
そんな時に、もし、ふざけて誰かに水でも掛けられようものなら、間違いなく本気でキレるね。
サウナの後の水風呂なんて、もってのほかだ。

 

しかしだ。
最近、サーフィンをやってみたりしてみて、痛感したのである。

『オレって、泳げねぇ・・・』

パドリングが進まない、泳いでいても、すぐに疲れてしまう。

陸上だと、けっこう人並み、もしくはそれ以上、体力には自信(?)があるのだが、こと、水の中では、まったく体力が続かないのだ。
すぐに息が上がる。
あまりの息苦しさに、『僕はもしかして、普段、呼吸の大半を皮膚呼吸に依存しているのではないか?』と思うほどだ。

まあ僕が思うに、水があまり好きではないので、それだけで心拍が上がり、不必要な部分にも力が入ってるのと、あとは、圧倒的に上半身の筋力が弱いのが原因だろうが(あと、泳ぐフォームも悪いと思うけど)、できれば、3キロ・・いや1キロくらいは軽く泳げるようになりたいではないか。

 

今年こそフルマラソンを完走するとか、日記の更新を素早くするとか、それより日記をもっと簡潔にするとか、僕の目標とすべき事は、他にも沢山あろう。
しかし、常に新しいことにチャレンジすべく、僕はこれを、今年の目標に設定するぞ!
まあ、ネタ作り的な側面もあるが。(笑)

とりあえず、モチベーションは『ミニトライアスロンにでも出てみようか。』である。

あ〜あ、言っちゃった。

 

皆さんも、ご一緒にいかがでしょう?
いやマジで。

 

 

 

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