隊長の屋外な日々

 

 

10月31日 ツール・ド・くまの


『ツール・ド・くまの』

この話が舞い込んだのは、『ツール・ド・のと』から帰ってきて、間もなくの事だった。
何じゃそりゃ?と、ちらっと、オフィシャルのHPを開いてみると・・・

『これって、かなりマジな大会じゃん。』

熊野大峰山系130キロを4つのステージに分け、第1ステージはやや(かなり?)のアップダウンステージ、47キロ。
第2ステージが、24.6キロ標高差800メートルのヒルクライム。
第3ステージはダウンヒル、14キロ。
そして第4ステージが平坦ステージ、48.7キロ。
第2第4ステージでタイム計測があり、総合タイムで勝敗を決める・・・というワンデイ本気レースだ。
そして、今回で19回目を数える、けっこう歴史のある大会でもあった。
前大会のアルバムがあったので覗いてみたが、これがまた皆さん速そうな方々ばかり。

そもそも、この話、持ち込んだのはキャプテンT野のジム友達(その人は、今回は出ない)。
それに鮫のごとく激しく食いついたのが、T野の師匠『会長』だった。
会長とは、御年61歳、かつては、トライアスロン業界の老舗、大阪鉄人会の会長まで務めた、もの凄い御方である。
経歴ばかりではなく、とても61歳とは思えない筋肉の標本のような肉体は、見た目ももの凄い。
そして、この年になっても、飽くなき勝利へのこだわり。
もう、ほとほと頭の下がるジーサンなのである。
で、弟子であるT野を巻き込み、チーム684もこの大会に出てみないか?と、そういうわけだ。

しかしま、最初のT野のメールでは、『かなりマジそうな大会なんで・・悩んでます。』な内容だったので、『ま、無いかな?』な気分だったのだが、意外な所で意外な人が食いついてきた。
何と『ミスターが乗り気満々です!』と言うのである。
どうやら、彼は、実家が熊野の辺らしく、それも手伝って、『すっかりその気』らしい。
大丈夫なのか?ミスター!?
『ツール・ド・のと』の最高地点(円山峠)でも、標高250メートルそこそこなんですぞ!?

しかし、仲間がいるというのは、心強いモノである。
この場合、仲間というのは、実力が拮抗している(一緒にチギられ、最下位争いをしてくれる、もしくは時間切れで、リタイヤの可能性もある)人のことである。
『じゃあまあ・・・モノは試しに、いっちょ出てみるか!』
という事になった。


前日、15時にT野邸前でT野と合流。
そこから会長の家に行き、本日仕事だったM井さんを梅田で拾う。
M井さんとは、ジムのインストラクターで、トライアスリートの27歳、女子。
先日の赤穂のトライアスロンでは、バイクで転倒し半身ズルムケになりながらも、見事優勝をさらった、根性の体育会系である。
今回は、これに、当日車で合流のミスターの計5名でのエントリーだ。
かなり道が混んでいて、高速に乗ったのは、18時頃だった。
しかも、土砂降り。(笑)

マシンガンのように繰り出される会長の戦歴(自慢話)を聞きつつ和歌山へ。
田辺のスーパーで晩飯&翌朝の朝飯を買い、霧の熊野街道を抜け、新宮のスーパー場末なビジネスホテル『ホテルサンシャイン』に着いた頃には、夜22時になっていた。
ビールと弁当で、晩飯を掻き込み、即寝。
明日は、朝4時起きである。
相変わらず、外は雨。時折けっこう強く降っている。
そして、明日の天気予報も雨のち曇り。
大丈夫なのか?明日は・・・。

 

朝4時に、昨日の晩のコロッケがまだ腹に残っている感じで、起床。
ぼーぜんと朝飯を食い、5時にホテルの薄暗いロビーに降り、コソコソとコーヒーを飲み、出発した。
雨は止んでいた、が、まだ辺りは真っ暗である。

スタート地点の高田自然プールで爆睡しているミスターと合流。
というか、所在を確認しただけで、まだ彼は夢の中。
ランタンに点火し、自転車を車から降ろし、組み立て。
会長の指示にて、シートポストを抜いて、水抜き。
そんな事を、暗闇の中でしていると、何やら遠くで、メガホンのオフィシャルらしき声がする。
聞きに行ってみると、どうやら、今日はコンディション不良のため、ワンデイ130キロレースは取りやめになり、第2ステージのヒルクライム24.6キロのみのレースになったようだ。
まあ、しかしコレは、前々から告知されていた事。
もう一度自転車を積み直し、ミスターを叩き起こし、車にて、次なるスタート地点、おくとろ公園へ向かった。

自転車を下ろし、空気を入れ、トイレにて軽量化、撮影に来たカメラマンにポーズをキメ・・・な〜んて事をしていると、ぼちぼちと開会式である。
熊野という場所柄か(遠いって事です)参加者は男子144名、女子9名の、計153名と人数は少な目だが、しかし、『のと』とは違い、皆さん速そう・・・&エエ自転車乗ってはりまんなぁ。
大会の個性としては、『ヒルクライム&平坦ステージ』と、オールラウンダーなバイク&身体能力が要求されるレースなので、その辺がけっこう面白い所である。(ま、今回はヒルクライムのみになってしまったが。)
そして、もう一つ、この大会のイイ所は、サポートカーが付いてくれるところである。
ちょっと専門的になるが、ツール・ド・フランスよろしく、ヒルクライム用ホイールをサポートカーに預けて、ステージ前に交換とか、補給食や、防寒着なんかのサポートも受ける事ができる・・・というわけだ。

開会式を終え、山頂&下り用の防寒着とカッパをサポートカーに預け、いよいよ出発だ。
スタートは、優勝争いをするつもり(自己申告)&過去の実績のある選手が、第1グループから順にスタート。
全部で5グループ。
女子9名は全員4グループだったので、女性2名を含むぼくらも全員一緒に第4グループでスタートである。

といっても、第4グループがのんびりツーリングモードというわけでは、決してない。
いきなり、ゆるい登りにもかかわらず、35キロ巡航。
チーム684の面々の位置を把握しつつ、とりあえず、T野に追いつく。
僕にとっては、かなりのハイペースだ。
しばらくは、国道169号線のやや登り。
そこで、T野に引っ張ってもらいつつ、時折、一瞬前を引いたりしつつ、7キロほど。
そこから、国道を右折。玉置山方面へ。
本格的なヒルクライム開始である。

案の定、あっさり、T野には置いて行かれた。(笑)
間もなく、M井さんに抜かれる。
ミスターも、会長も、ほぼ同じ、僕のすぐ後にいるようだ。
少々登りがキツくなった所で、M井さんに追いつき、パス。
振り向くとすぐ後には、超目立つオレンジのジャージを着た会長が見える。
何とか会長には追いつかれまいとひたすらイーブンペースで登っていると、同じグループスタートのルックのバイクのニーチャンに抜かれる。
じわじわ離されつつも、しばらくそのルックを目標に付いて行っていると、 つづら折れの登りの向こうにT野が見えた。
思ったほどは離されていないようだ。

自分の手元すら見えないほどの真っ暗なトンネルを抜け、さらに登る。
そして今日は、ホンマに、コンパクトクランク炸裂。
インナー34×25〜27で、クルクルと回し登る。
そして、葛川トンネルを抜け左折すると、いよいよ激坂区間の登場だ。
『く〜〜〜っ。34×27でも、全く足りないぞ〜!!』
いやいや、まさに『激坂!!』である。
しかも、立ち漕ぎすると、濡れた路面と道路に付いた苔や落ち葉で後輪が空転し、パワーがロスしてしまう。

この辺りに来ると、後に会長がいるだのどーだのなんて、もう、それどころではない。
時速7キロ・・・とにかく、可能な限りの力で、漕ぎ、とにかく前に進まなければ、転んでしまうのだ。
シッティングで、右の足を踏み降ろし、左の足を踏み降ろす。
ひたすらコレの繰り返し。
たまに、引き足を意識して使ってみるが、慣れてないので、そううまくはいかない。
疲れると立ち漕ぎ、それも疲れると、今度は、ポジションを変え、シートの一番後に座り、上半身を使ってハンドルを引きつけるようにペダリング。
最近、これほど集中して、一つの目標に向かって何かをしたことがあっただろうか?
煩悩は取り払われ、もう真っ白、無我の境地である。(笑)

いつの間にか、霧は小雨に変わっていた。
すると、目の前の集団に、見覚えのあるジャージが・・・。
T野である。
何と、追いついていたのだ。
無我の境地改め、こうなると、何とかしてT野の前に出たい・・というのが人情である。
後から見たT野は、右に左に蛇行し、いかにも辛そうだった。
彼女は今日は、1万円以上もするというニューデュラエースのリアのスプロケット27(たった3枚なのに、なんて高さ。さすがはチタン製)の導入を躊躇し、39×25が最大のギア、という態勢で挑んでいた。
もう一段軽いギアがあれば、もう少し楽に登れたに違いない・・というか、ワシなんかに追いつかれる事も無かっただろうが、ココはいっちょチャンスである。

必死に追いつき・・・・・抜いた。

そこからは、もう、ひたすらゴールを目指し走るのみ。
気が付けば、ずいぶん前に抜かれたルックのニーチャンにも追いついていた。
峠を越え、ちょっとした下りで抜く。
すると、いきなりゴールが現れた。

一気に、全開。
そして、ゴ〜〜〜ル!!!

スタートして、1時間18分46秒。
何と、684トップでのゴールである。
結局、順位は総合で153人中90位。
年代別では、40名中27位と、まあ、そんなモンではあったが、いや〜、頑張りました〜。

間もなくT野がゴール。
少し間を置いて、会長。
会長は、60代以上の年代別優勝特別賞を狙っていた(あくまでも賞にこだわるのである)ようだが、こちらは、この年代でもの凄く速い人がいて(何と、1時間12分03秒。50代の優勝タイムより速い。しかも、何とこの人、途中でパンクし、かなりのタイムロスをした上でのこのタイムである。信じられません。)残念ながら、2位に終わった。

しばらくたって、ミスターがゴール。
ゴール後、ミスター曰く。
『いや、もう、何度もやめようかと思ってん。』
『けどな、「ここでやめたら、オレ、かなり情けない」「ここでやめたら、オレ、かなりカッコ悪い!」と自分に言い聞かせながら、何とか止まらずに来たわ・・・。』
と。
人が無我の境地で走っていた最中、彼は、煩悩をパワーに変え走っていたのである。
ミスターを頑張らすには、後に、若い女子を走らすと良い・・・。
これは、能登以来発覚した、ミスターの意外な一面であった。
出発前は、現地の旨い店や、お土産のチェックに・・とそんな事にばかり気にしていたミスターを見て、『ほんま、大丈夫ですか?』と思っていたのだが、 いやいやしかし、けっこう頑張りましたな。

続いて、M井さんがゴール。
トレーニング不足や何やらで足が攣って、一旦休憩していたらしい。
そもそもそんなにバイクが得意ではない(自称)うえに、初めての自転車単体のレースで、このレースは、ハードだったかもしれない。
自転車のギア比も、ヒルクライムに合っていなかったのでは?

登ったら、スタート地点に向け、下山である。
雨なので、安全を考え、なるだけサポートカーにて下山するように、とのアナウンスが流れる。
といっても、ボランティアに支えられているようなこの大会。
そんな大ががりな収容車があるわけもなく、乗れる人数は限られているので、女性や走力に自信の無い人が優先である。
さっきまで『若いモンには負けん!!!』とピンシャンしていた会長が、『そりゃあ、やっぱりシルバー優先じゃろ。あ〜腰イタ。』と、早々に車に乗り込んでいくのがおかしかった。

雨の中、そろそろと下山し、おくとろ公園内の温泉へ。(参加者は無料)
激込みの温泉を出ると、オフィシャルの用意したお弁当と特産品のジャバラジュースが振る舞われ、抽選会。
続いて、表彰式である。

何と、キャプテンT野が、女子の部2位!!
チーム684、初めての表彰台であった。
聞くところによると、会長と共に出た大会では、ヤツは必ず何らかの賞をゲットして帰っているらしい。
愛弟子の活躍に、会長は目を細めていた。(写真は、今回入賞の面々。)

帰りは、また会長のマシンガントークに圧倒されつつ、吉野経由で大阪へ。
会長とM井さんを大阪で降ろし、桃谷の鉄板焼き屋『万歳橋』でT野曰くの『ごった煮』を食い、解散。
いや〜、皆さん、お疲れさんでした〜。
来年は、130キロ、フルに完走したいモンですな。

 

 

 

10月23.24日 赤穂キャンプ2004秋。


昔はよくキャンプに行ったもんだ。
ジムニーに荷物を満載して、多い頃は、年間平均したら月一回は行っていたと思う。
2月の朽木村雪上キャンプや、長良川や吉野川の河口堰反対デモキャンプ。
淡路島の離島、沼島の釣りキャンプでは、テントに進入してきたフナムシが口の中に入ってきそうになり目が覚めた・・なんておぞましい経験をし、 大台ヶ原(正確には大迫ダム上流)では、夜中、野生の猿に、こっそりクーラーから餃子と天かすを盗まれ、翌日のお好み焼きは天かす無しという、情けない事態に遭遇した。
等々、ちょっと思い出しただけでも、数えきれない。

しかし、最近は、めっきり、キャンプに行く事も少なくなった。
(と言っても、世間一般からすると、もの凄く行っているのだろうが・・・。)
そんな中で恒例となっているのが、年4回。
夏の、Bルー系のキャンプと、年末の川湯キャンプ、そして、春と秋の赤穂キャンプである。
気が付いてみると、丁度、春夏秋冬1回ずつだ。
まったく無意識ではあったが、やはり、その季節ごとに一度は自然に身を委ね、日本の四季を満喫せねば・・・といった気持ちの表れなのかもしれない。
(単に、3ヶ月に一回くらいのペースで、キャンプに行きたくなるだけかもしれないが。)

というわけで、またもや恒例の赤穂キャンプである。
もうこの日記にも数多く登場しているので、詳しい説明は割愛させていただくが、場所は、県民丸山サンビーチキャンプ場(通年営業&無料)。
メンツは、いつものY田家に、ポル氏、S藤氏。
膝の骨折からアウトドア復帰のテツヤ氏、前の愛車ディスカバリーの担当営業マンだったよっさんとその娘&お友達(×3)&犬一匹。
日曜日の日帰り参加のM田家(×4)&犬一匹。
そして、今回は、初参加の人も多数。
I上ネーサンに、S藤氏の友人のイケメンインドネシア人のグスティ、僕とS藤氏がベトナム旅行で知り合った保母さん、ごっちゃんともりちゃん。
深夜の飛び入り参加で、I藤のアニキ・・・と、大型タープに、テント8張りの、大所帯となった。

さて。
家の前で電話をかけたら『今起きました・・。』なポル氏を放置し、ネーサンと合流、赤穂へ。
11時に現地集合である。
といっても、全員が一気に集合というわけではなく、とりあえず、ネーサン、S藤氏、グスティ、ごっちゃん&もりちゃん、Y田家の、車3台分が集結。(→写真は、Y田家のディフェンダーと。このツーショットが撮りたかった(笑))
まずは、サイト作りである。
現地は、時期のわりには、意外にもかなりの賑わいだった。
ここんとこの雨や台風で、思えば久々の晴天の週末が、人を呼び寄せたのかも知れない。
だが、大所帯の僕らは、それなりにまとまった場所を確保せねばならない。
と・・サイトを見回してみると、一見、『ああ、あそこが空いてるじゃん。』な一等地とも言えるスペースはあった・・・のだが、それはそれで理由があった。
そこには、でん!と、テントの廃屋(?)が横たわっていたのである。
恐らく、先週の台風の中キャンプしていて、そのまま放置されたモノと思われる。
ポールは折れ曲がり、5分の1くらいの高さに拉げ、無惨な姿をさらしていた。
そして、何故か、中には漫画や食器や調味料が散乱し、どうもその後も生活していた気配が漂っている。
すぐ目の前まで、流木やゴミの山が打ち上げられていたので、実際、当日の荒れ模様は凄まじかったに違いない。
このテントのオーナーは、這々の体で強風で潰れたテントを捨て避難したのだろう。
そして、その後そこに、この辺で野外生活している方が『こりゃエエわ〜。』と、仮住まいしていたと・・・そんな感じである。
その生活の気配が、このテントを今まで撤去させなかった理由かも知れない。
しかしだ。ココは公共のキャンプ場の一等地である。
これではあまりに景観も悪いし、いずれは、管理者によって撤去されるべきモノなので、住んでる方(たぶん)には悪いが我々で撤去し、スペースを確保することにした。

『うわぁ・・・』『どないなってんの?』『げ!ムカデ!!』などと騒ぎ立てつつ、ワイワイとやっつけ、その場にモンベルの巨大タープを設置。
あとは各自、テントを設営。
ごっちゃん&もりちゃん用テントと、夜中到着予定のよっさん用テントも設営し、遅れて到着のポル氏とグスティを留守番に残し、赤穂のジャスコへ買い出しに。
信じれんくらいの食材と酒を買い込み、サイトへ戻ると、松葉杖のテツヤ氏が到着していた。
彼は、久々のアウトドアで、心身共にリハビリである。

昼飯を食うと、次は早速釣りだ。

なぜ早速なのかというと、実は、インドネシア人のグスティが、ものすごく、この『海釣り』を楽しみにしていたらしいのである。
彼の住んでいるバリ島では、海ではあまり釣りをしないらしく、釣りと言えば、川で「のべ竿」でするモノで、リールなんか使った投げ釣りなんかは、間近で見るのも初めてなのだとか。
その他にも、投げ釣り初体験者多数。
とりあえず、スピニングリールの使い方から餌の付け方等をレクチャーしつつ・・・とやっていると、いきなりグスティが、一投目でヒット。
ハネ(スズキの子供)である。
一躍、ヒーロー。
しかも、貴重なおかず一品ゲット。
みんな、コレに続けとばかりに気合いが入り、ずらりと竿を並べ、激釣り大会となった。
カワハギにキスに・・と、けっこうな数が釣れ、グスティは、その後も釣れ続け、本日一番の竿頭。
グスティ君、キミはなかなか筋が良い。インドネシアに帰ったら、シルバーアクセサリーショップも良いけど、釣りショップ&ガイドなんかもやったらどうかね。
で、バリの釣り業界のカリスマとなり、我々を師匠として、バリに招いてくれたまへ。(笑)

日も落ちた所で、そろそろ晩飯である。
まずは、恒例付きだし、和牛の網焼きステーキ。
刺身、 旬のモノ系で、秋刀魚の塩焼き。
それから、秋の夜長は、やっぱり鍋だ。
そうこうしていると、よっさんが到着。
小学生の女子3人と犬一匹が加わり、さらに賑やかとなる。

そして、夜も更け酒もまわりはじめた頃・・・・・真打ち登場!!
ネクタイにジャケット、肩からはギターを提げ、手には譜面代と譜面。
I藤のアニキである。
その明らかにウケを狙ったかのような出で立ちにも、彼のサービス精神がにじみ出ていて、何ともスバラシイ。(笑)

ありったけの食材が「ギャラ」代わりに振る舞われ、エネルギー充填が終わると、ライブ開始。

ご存じ『夙川』である。

S藤氏のギターと、まわりのテントに気遣ったアニキの控えめな声が秋の夜空に吸い込まれる。
やはり、2年間の失跡を乗り越えた男から染み出す歌声は、心を揺さぶる力がある。
一つ一つ、訥々と奏でられる珠玉のメロディ。(←誉めすぎ)
いやいやしかし、ちょいと練習不足な感もあったが、素晴らしいライブだった。

盛大な拍手に見送られながら、次の日も仕事のアニキは、静かな嵐のように去っていった。
その間、2時間ほどだった。
素晴らしい夜と、『夙川』に乾杯!!(笑)

 

翌朝、すぐ隣のテントから聞こえる、ソプラノリコーダーの音で目が覚めた。
よっさんテントの子供達である。
しばらくウダウダするも、テントに照りつける朝日で温室のようになり、暑くてテントから避難。
のそのそと起き出すと、外は快晴だった。
恒例のホットサンドを作り、朝食。

しかしまぁ、それにしても、子供は朝から元気である。
そこで、ごっちゃんともりちゃんの出番、というか、自然な成り行きというか、なんだかわからんが、その辺にたむろしている、ご近所のキャンパーのお子さん達をも巻き込み、辺りはちょっとした保育園状態。
あの人見知り(?)の超激しいイブキすらも、瞬く間に手なづけられていた。
流石はプロだわ。

朝一に、ちょっと町まで、たばこを買いに行ってたよっさんが、コンビニで朝刊を買ってきた。
新潟の地震の速報。(ぼくらは、キャンプ中だったので、地震の事は詳しく知らなかった。この時点では、震度の割に、被害の報告は薄かったのだが・・・)
そして、間もなくし、M田家の到着。
さらに子供二人&犬一匹追加。
昨日使い切ってた釣り餌が補充され、今日もまた、釣り開始。
グスティは、今日も絶好調である。

一方では、ボンボンベッドで日光浴をしながら英字新聞を読むポル氏。
横でマットを広げ、ヨガ体操(?)で一汗かくネーサン。
ダッチオーブンでケーキを焼くごっちゃん。
朝からビールを飲むワシ。(笑)
キャンプというのは、夜の飲み会もイイのだが、こんな、翌朝の思い思いのマッタリした時間もまた、味わいがあってイイもんである。

そのまま、何となく、残り物の掃討作戦に入りつつ、昼食へなだれ込む。
といっても、ダッチオーブンで作る、和風スペアリブの煮込みや、釣れたて魚の刺身等、次から次へと、激ウマ料理が続々である。
そして最後は、間違いなく今後の語りぐさになるであろう、春巻き事件ならぬ、焼きそば事件で、激しくシメた。

相生ペーロン温泉に入り、解散。
皆さんお疲れさまでした〜。

皆さん、その後、体調は大丈夫でしたか?(笑)

 

 

 

10月14日 六甲山輪行フルコース。


『今度、六甲山でも、走りに行きましょう!』
前々から、こんな話をいただいていた。
その主は、ムーンテイルのS藤店長さん。
ムーンテイルとは、去年グリーンピア三木で開催された『シュイン・タイオガカップ』(マウンテンバイクの耐久レース)でご一緒した仁川駅前にあるサイクルショップである。
ちなみに、定休日は木曜日。
店長は、ほぼ毎週この木曜日になると、近郊の山々を走りまくっていて、こと六甲トレイルには、かなり造詣が深いのである。
そして、本日、それが実現する事になった。
向かうは、店長ご推薦オリジナルの『六甲山輪行フルコース』。
さて、どんなコース設定なのか?
こうご期待である。


朝8時に宝塚温泉前集合。
店長は、シルバーのアゾニックというバイクを駆り、集合時間を少し過ぎてやって来た。
1.5のオンロードタイヤというスタイルで、とても、これから、シングルトラックを走りに行くようには見えないが、最近彼は、こういうタイヤでオフロードを走るのを、色々と試しているようだ。

で、まずは、いきなり、オンロードでの登り。
176号線から、船坂峠へ。
前日までのメールのやり取りでは、『オンロードは遅いので、先に行ってください。』なんて下手に出ていた彼なのだが、なんのなんの、スイスイ登っていく。
細いオンロードタイヤってー事を差し引いても、やはり毎週のトレイル行脚は、ダテではないのだ。
船坂から有馬のロープウエー乗り場へ向かい、そこから輪行(自転車をバラして、専用の袋に入れ、乗り物に乗る事)である。
珍しそうに群がってくる叔母様達をかわし、チケットを買う。
手荷物料金200円(だったかな?)を合わせて、1180円(だったかな?)。

と・・そこで、事件は起こった・・・というか、コレはどうも納得いかないので、本筋からは外れるが、あえて書かせていただく。ああ、書かせていただくとも。
チケットを買うとき、受付のオバハンに(奥にオッサンもいた)
『自転車ですか?(人が) いっぱいだったら、次の便になりますけど・・・。』と言われたのである。
イヤ、これだけだったら、こっちも、デカイ荷物を持ち込んでいるので、『そうやね、まあ、しょうがないか。』と全く普通に納得するのであるが・・・
『いいですよ・・・あ、でも、次の便には乗れるんですよね?』と尋ねたら、 何と、そのオバハンは、
『いえ、それはわかりません!』と、キッパリ言うのである。
『え?』と僕が異な顔をすると、奥でオッサンが『そりゃそうやわ。』とさらに畳み掛けるのである。
ちょっと待ってクレよ。と。それはオカシイじゃないか。と。
こっちは、そちらの定めた正当な手荷物料金を支払っているのに、なぜそこまで蔑まれた扱いなのだ?!
『ちょっと待ってください! という事は、この後、続々と人が来たら、今日は一日待っても乗れないという事ですか?!』
と、いつもの調子で、即座に戦闘態勢に入ったところで、『まあまあまあ。たいがい乗れるから。』と、店長が間に入った。
そうだった、僕は、たまにしか使わないが(というか、初めて乗るのだが)、彼は毎週のように使っているのだ。
ここでもめ事を起こして、自転車お断りになっては、あまりにも申し訳ない。

と・・・いうわけで、その場は穏便に済まし、無事、次のロープウエーで、六甲山頂カンツリー駅へ。
バイクを組み立て、気を取り直し、さて、本番開始である。

まずは、稜線の車道を西へ。
六甲山ホテル前を通り、丁字ヶ辻を過ぎたところから、車道から外れ、サウスロードへ。
本日最初のシングルトラック(俗に言う登山道)である。
ここは短く、まあ、足慣らし適度。
一旦車道に出てから、今度は、シェール道に入る。
緩やかな下りのダートを堪能した後、少し登り返し。
車道に出て、そのまま西へ。
森林植物園から、裏六甲方面へ、今度は山田道の本格ダウンヒルである。
平日だからというのも大きいとは思うが、やはり、店長の選んだコース。
台風一過で、多少コースが荒れていたが、人も少なく(というか、ほとんどすれ違うハイカーもなく)、かなり走りやすい。
いや〜、やはり、シングルトラックは楽しい。

一気に下り、神鉄有馬線の谷上駅前で一休み。
偶然共通の知り合いだった、今ハワイに帰っているマーガレット(IOC関係)や、今度お手伝いするかも知れない、『とれとれ北摂ラリー』(マウンテンバイクイベント)の話に花が咲く。
それから、車道をまた有馬まで戻り、有馬の名物定食屋『さくら食堂』で昼食を摂り、今度は、ロープウエーには乗らず、魚屋道を、ひたすら自転車を押して登る。
決して楽な行程ではないのだが、これは、まあ、マウンテンバイクを楽しむための税金みたいなモンだ。

山頂直下の、一軒茶屋まで登り、とりあえず、ビールで乾杯。
この後は、一気に宝塚の塩尾寺まで、本日一番のメインのダウンヒルを残すのみである。

しかし、一軒茶屋を出ると、さっきまでの秋晴れとは打って代わって、にわかに雲行きが怪しくなってきた。
走り出すと、ポツポツと雨。
そして、一瞬で、嵐のような大雨になった。
すぐ止むかと思ったら、これがけっこうな本降り。
丁度通りかかったトンネルで雨宿りである。
山の天気は変わりやすいというが・・・う〜む、六甲山、恐るべし。

結局、30分ほど待ってみたが、あがる気配が無いのと、これ以上待っても、トラックは濡れていて危険であろう・・との判断で、雨の中、車道を下ることになった。
一番のオイシイ所を目の前にして残念だが、ココは経験豊かな店長の意見が正しいに違いない。

ずぶ濡れになりつつ、下山。
甲陽園に着いた頃には、甲山に虹がかかっていた。

店長さん。是非またいつか、リベンジに行きましょう。
お疲れさんでした〜。

 

 

 

10月11日 天満屋ハピータウンカップ 2004。


天満屋ハピータウンカップ。
自転車耐久レースである。
言っておくが、『ハッピータウン』の誤植ではない。(笑)
と、そんな事はさておき、この大会、僕が思うに、ロード初心者がエントリーするには、まさに打ってつけの大会である。
まずスピードレースではなく、耐久レースであり、しかも、ママチャリクラスやファミリークラス等、全体的にユルイ感が満載。
だが、集団走行やドラフティングも体感できるし、高速でのコーナリングも、キッチリと経験できる。
サーキットなので、車の心配もしなくて良いし、舗装が良いのもイイ。
そう言えば、僕がサーキット走行デビューを果たしたのも、この大会だった。
去年は6月に開催で、今年は『チーム684新人デビューに丁度ヨシ。』と目論んでいたのだが、いっこうにアナウンスが無く、『もう無くなったのか?』と思っていたら、突然10月のこの時期に開催となったのである。

メンツを募ってみると、新人のアノ御方は、鈴鹿ロード、ツール・ド・のと以降、ハーフマラソンやらフラの発表会やらの立て続けのエントリー貧乏で、今回は断念。
エガガと、先日キャプテン野のバイクを譲り受け、トライアスロン初挑戦で3位の表彰台をゲットしたヨさんが参加する事となった。
で、結局、今回のエントリーは、キャプテンT野、僕、エガガ、ヨさんの4名。
鈴鹿の時のように、4名で1チームのエントリーにする事も可能だったが、今回は、3時間耐久に2チームでエントリーする事にした。
キャプテンT野と僕は、『ムバシ』チーム。 ちょっと本気モードで、実力試し。(といっても、コレに向けて何かトレーニングをしたワケではないが。)
エガガとヨさんは、『チョバシ』チーム。ロードでの実戦経験を積みスキルアップを狙う。

午前3時、エガガ邸集合。
それから、ヨ邸経由で、岡山県TIサーキット英田を目指す。
6時過ぎ、TIサーキット英田に到着。
途中雨がパラついたり、霧が出たりしたが、おおむね天候は回復の兆しである。

米子から来た、キャプテンT野の友人御一行の端っこにピットをかまえさせてもらい、準備開始。
空気を入れたり、朝食を食ったり。
そこで、いきなりヨさんのバイクの後輪がパンクしている事が発覚。
正確な原因は不明だが、低い空気圧で走っていたことが、バルブの根元に負担をかけていたようだ。
修理不能なので、エガガの予備チューブを拝借。
タイヤを外そうとして、大苦戦。
『何だこのタイヤ? チューブがタイヤに張り付いてるぞ?』

とまあ、色々あったが、ひとおりやる事が終わると、アスリートたるモノ、空いた時間でアップである。
普段はあまりしないのだが(イヤ、普通するべき事なのだが)今回は、前に書いたとうり、少々本気モードなのだ。
その証拠に、今日は、ローラー台持参である。
先行スタートのT野が、まず先にアップ。
流石は、毎朝ジムでミニトライアスロンのようなハードなトレーニングをしてから出社しているだけあって、鬼気迫るアップぶりである。
その後、僕もアップ。
が、慣れないモンで、どの程度やったらいいかわからない。
疲れたので終了。(笑)

そうこうしているうちに、レース開始である。
ムバシのスターターはT野。3周ごとの交代予定。
チョバシのスターターはエガガで、こちらは2周交代だ。
で、スターと前に、もう一度、自転車のチェック。
すると、ヨのバイクの前輪の空気が、もうすでに抜けているではないか。
もしや?と思い、チェックしてみると、パンクしていた。
さっきの後輪と同じ症状である。
慌てて、またエガガの鞄から替えチューブを拝借し、急いでチューブ交換。
何とか、ギリギリ間に合い、事なきを得た。

ずは、2周のエガガがピットイン。
スタンバイしているヨさんにバトンタッチ。
バトン代わりの、足に巻いた計測チップと、ヘルメットの黄色いキャップを付け替える。
『キャップが汗で濡れてますぅ。(笑)』と、ヨ。
『ハイハイ!そんな事はどうでもイイから、早く行きなさいって!!』と、ワシ。

そして、間もなく、3周を消化したキャプテンT野がピットイン。
ドタバタとバトンタッチし、勢い込んで、コースに飛び出した。
通常とは逆回りなので、まずは、ホームストレートを登る。
ホッブスコーナーから下り、ここで一息。
リボルバーコーナーからの激登りを経て、バックストレッチを40キロオーバーで巡航し、アトウッドカーブで、最高速に達し、第1コーナーから、ホームストレートの登りで、ピット前を通過する。
もう先頭集団は、遙か彼方。
速い人がなかなかいず、抜いてばかりで、後に付く事もできない一人旅。
ペースの割には、体力を消耗する。
やはり、3周交代はキツイかも。

何とか、ノルマを終え、T野にバトンタッチ。
これから次の交代まで、約20分弱。
この間に、また、全開走行できるように、息を整えておかねばならない。
と言いつつ、そんな20分弱なんて、すぐにやって来る。
バタバタと、また出発。
エガガとヨさんのチョバシチームも、順調に周回を重ねているようだ。
特に、ヨさんには、一周一周が貴重な経験となっているに違いない。

一方、行程も3分の2に差し掛かろうとしている所で、僕は、ママチャリのオッサンと壮絶なデットヒートを繰り広げていた。
信じがたい事なのだが、このママチャリのオッサンが、激速いのである。(何とDHバー付きママチャリ。)
いや、どの大会にも、こういうヤツはいるのではあるが、しかし、それにしても、けた外れに速い。
(何と、彼の2時間での成績は、21周、2時間6分47秒、平均時速38.23であった。ちなみに、これは、2時間オープン(バリバリのロード)に換算しても、9位に入る快挙である。平均速度も、僕らより4.5キロも速かった。ママチャリなのに・・・。)

そして、そのオッサンがチェッカーフラッグを受けるのを横目で見つつ、僕は、4周目に突入した。
ゴールの時間に5分前になると、混乱を避けるため、ピットが閉鎖してしまうのである。(2時間、3時間、6時間のカテゴリーがあり、スタートは一緒なので、順次、短い方からゴールなのだ。)
まあ、しょうがない。
しかし、4周目を終え『やれやれ、やっとピットだ・・』と、第一コーナを立ち上がると、何とまだ、ピットがクローズしたままではないか。
『ちきしょ〜、なんでやねん!』
しかし、ま、入れないモノはしょうがない。
力を振り絞って、もう一周。
ところが、何と、次の週も、ピットは締まったままだった。
結局、予定の周回の倍の6周回。
しかも、毎回毎回、『この周がラストだ!』と、力を出し切って走って、ピットロード入り口での、無情の門前払い。
その度に、切れたモチベーションの建て直し。
3倍・・いや4倍疲れたわ・・・。

最後の周回も、ヘタしたら、同じような事態に陥りそうだったので、最後の周は2周にして、早めにT野にバトンタッチ。
予想通り、T野も、2周で終わりと思っていた所を、予定以上の3周回。(もし僕が、最後2周で終わっていなかったら、5周走らされていた可能性が高いかった。あぶね〜。)

しかしま、何はともあれ、全員無事ゴール。
レース中に、昼食を食い尽くしたヨさんが、焼きそばを購入に走り、昼食、ビールで乾杯。(しかし、ウチの女子は、ドイツもコイツもよく食うよなぁ。)
労をねぎらい、昼寝なんかもして(6時間のレースはまだ続いているのである。)マッタリした後、リザルトを見に行った。

ムバシチーム、3時間オープンチームエンデューロの部、29周、3時間10分56秒、平均時速33.74キロ。
65チームエントリー中、何と15位!!
いや〜、頑張った甲斐がありました。
男女混合のカテゴリーがあれば、一位表彰台でした。(笑)
チョバシチームも、31位の、まん中より上をゲット。(拍手)

帰りは、激混みの高速を迷走し、江戸堀の鉄板焼き屋で晩飯を食い解散。
皆さん、お疲れさんでした〜。

 

 

 

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