10月31日 ツール・ド・くまの
『ツール・ド・くまの』
この話が舞い込んだのは、『ツール・ド・のと』から帰ってきて、間もなくの事だった。
何じゃそりゃ?と、ちらっと、オフィシャルのHPを開いてみると・・・
『これって、かなりマジな大会じゃん。』
熊野大峰山系130キロを4つのステージに分け、第1ステージはやや(かなり?)のアップダウンステージ、47キロ。
第2ステージが、24.6キロ標高差800メートルのヒルクライム。
第3ステージはダウンヒル、14キロ。
そして第4ステージが平坦ステージ、48.7キロ。
第2第4ステージでタイム計測があり、総合タイムで勝敗を決める・・・というワンデイ本気レースだ。
そして、今回で19回目を数える、けっこう歴史のある大会でもあった。
前大会のアルバムがあったので覗いてみたが、これがまた皆さん速そうな方々ばかり。
そもそも、この話、持ち込んだのはキャプテンT野のジム友達(その人は、今回は出ない)。
それに鮫のごとく激しく食いついたのが、T野の師匠『会長』だった。
会長とは、御年61歳、かつては、トライアスロン業界の老舗、大阪鉄人会の会長まで務めた、もの凄い御方である。
経歴ばかりではなく、とても61歳とは思えない筋肉の標本のような肉体は、見た目ももの凄い。
そして、この年になっても、飽くなき勝利へのこだわり。
もう、ほとほと頭の下がるジーサンなのである。
で、弟子であるT野を巻き込み、チーム684もこの大会に出てみないか?と、そういうわけだ。
しかしま、最初のT野のメールでは、『かなりマジそうな大会なんで・・悩んでます。』な内容だったので、『ま、無いかな?』な気分だったのだが、意外な所で意外な人が食いついてきた。
何と『ミスターが乗り気満々です!』と言うのである。
どうやら、彼は、実家が熊野の辺らしく、それも手伝って、『すっかりその気』らしい。
大丈夫なのか?ミスター!?
『ツール・ド・のと』の最高地点(円山峠)でも、標高250メートルそこそこなんですぞ!?
しかし、仲間がいるというのは、心強いモノである。
この場合、仲間というのは、実力が拮抗している(一緒にチギられ、最下位争いをしてくれる、もしくは時間切れで、リタイヤの可能性もある)人のことである。
『じゃあまあ・・・モノは試しに、いっちょ出てみるか!』
という事になった。
前日、15時にT野邸前でT野と合流。
そこから会長の家に行き、本日仕事だったM井さんを梅田で拾う。
M井さんとは、ジムのインストラクターで、トライアスリートの27歳、女子。
先日の赤穂のトライアスロンでは、バイクで転倒し半身ズルムケになりながらも、見事優勝をさらった、根性の体育会系である。
今回は、これに、当日車で合流のミスターの計5名でのエントリーだ。
かなり道が混んでいて、高速に乗ったのは、18時頃だった。
しかも、土砂降り。(笑)
マシンガンのように繰り出される会長の戦歴(自慢話)を聞きつつ和歌山へ。
田辺のスーパーで晩飯&翌朝の朝飯を買い、霧の熊野街道を抜け、新宮のスーパー場末なビジネスホテル『ホテルサンシャイン』に着いた頃には、夜22時になっていた。
ビールと弁当で、晩飯を掻き込み、即寝。
明日は、朝4時起きである。
相変わらず、外は雨。時折けっこう強く降っている。
そして、明日の天気予報も雨のち曇り。
大丈夫なのか?明日は・・・。
朝4時に、昨日の晩のコロッケがまだ腹に残っている感じで、起床。
ぼーぜんと朝飯を食い、5時にホテルの薄暗いロビーに降り、コソコソとコーヒーを飲み、出発した。
雨は止んでいた、が、まだ辺りは真っ暗である。
スタート地点の高田自然プールで爆睡しているミスターと合流。
というか、所在を確認しただけで、まだ彼は夢の中。
ランタンに点火し、自転車を車から降ろし、組み立て。
会長の指示にて、シートポストを抜いて、水抜き。
そんな事を、暗闇の中でしていると、何やら遠くで、メガホンのオフィシャルらしき声がする。
聞きに行ってみると、どうやら、今日はコンディション不良のため、ワンデイ130キロレースは取りやめになり、第2ステージのヒルクライム24.6キロのみのレースになったようだ。
まあ、しかしコレは、前々から告知されていた事。
もう一度自転車を積み直し、ミスターを叩き起こし、車にて、次なるスタート地点、おくとろ公園へ向かった。
自転車を下ろし、空気を入れ、トイレにて軽量化、撮影に来たカメラマンにポーズをキメ・・・な〜んて事をしていると、ぼちぼちと開会式である。
熊野という場所柄か(遠いって事です)参加者は男子144名、女子9名の、計153名と人数は少な目だが、しかし、『のと』とは違い、皆さん速そう・・・&エエ自転車乗ってはりまんなぁ。
大会の個性としては、『ヒルクライム&平坦ステージ』と、オールラウンダーなバイク&身体能力が要求されるレースなので、その辺がけっこう面白い所である。(ま、今回はヒルクライムのみになってしまったが。)
そして、もう一つ、この大会のイイ所は、サポートカーが付いてくれるところである。
ちょっと専門的になるが、ツール・ド・フランスよろしく、ヒルクライム用ホイールをサポートカーに預けて、ステージ前に交換とか、補給食や、防寒着なんかのサポートも受ける事ができる・・・というわけだ。
開会式を終え、山頂&下り用の防寒着とカッパをサポートカーに預け、いよいよ出発だ。
スタートは、優勝争いをするつもり(自己申告)&過去の実績のある選手が、第1グループから順にスタート。
全部で5グループ。
女子9名は全員4グループだったので、女性2名を含むぼくらも全員一緒に第4グループでスタートである。
といっても、第4グループがのんびりツーリングモードというわけでは、決してない。
いきなり、ゆるい登りにもかかわらず、35キロ巡航。
チーム684の面々の位置を把握しつつ、とりあえず、T野に追いつく。
僕にとっては、かなりのハイペースだ。
しばらくは、国道169号線のやや登り。
そこで、T野に引っ張ってもらいつつ、時折、一瞬前を引いたりしつつ、7キロほど。
そこから、国道を右折。玉置山方面へ。
本格的なヒルクライム開始である。
案の定、あっさり、T野には置いて行かれた。(笑)
間もなく、M井さんに抜かれる。
ミスターも、会長も、ほぼ同じ、僕のすぐ後にいるようだ。
少々登りがキツくなった所で、M井さんに追いつき、パス。
振り向くとすぐ後には、超目立つオレンジのジャージを着た会長が見える。
何とか会長には追いつかれまいとひたすらイーブンペースで登っていると、同じグループスタートのルックのバイクのニーチャンに抜かれる。
じわじわ離されつつも、しばらくそのルックを目標に付いて行っていると、 つづら折れの登りの向こうにT野が見えた。
思ったほどは離されていないようだ。
自分の手元すら見えないほどの真っ暗なトンネルを抜け、さらに登る。
そして今日は、ホンマに、コンパクトクランク炸裂。
インナー34×25〜27で、クルクルと回し登る。
そして、葛川トンネルを抜け左折すると、いよいよ激坂区間の登場だ。
『く〜〜〜っ。34×27でも、全く足りないぞ〜!!』
いやいや、まさに『激坂!!』である。
しかも、立ち漕ぎすると、濡れた路面と道路に付いた苔や落ち葉で後輪が空転し、パワーがロスしてしまう。
この辺りに来ると、後に会長がいるだのどーだのなんて、もう、それどころではない。
時速7キロ・・・とにかく、可能な限りの力で、漕ぎ、とにかく前に進まなければ、転んでしまうのだ。
シッティングで、右の足を踏み降ろし、左の足を踏み降ろす。
ひたすらコレの繰り返し。
たまに、引き足を意識して使ってみるが、慣れてないので、そううまくはいかない。
疲れると立ち漕ぎ、それも疲れると、今度は、ポジションを変え、シートの一番後に座り、上半身を使ってハンドルを引きつけるようにペダリング。
最近、これほど集中して、一つの目標に向かって何かをしたことがあっただろうか?
煩悩は取り払われ、もう真っ白、無我の境地である。(笑)
いつの間にか、霧は小雨に変わっていた。
すると、目の前の集団に、見覚えのあるジャージが・・・。
T野である。
何と、追いついていたのだ。
無我の境地改め、こうなると、何とかしてT野の前に出たい・・というのが人情である。
後から見たT野は、右に左に蛇行し、いかにも辛そうだった。
彼女は今日は、1万円以上もするというニューデュラエースのリアのスプロケット27(たった3枚なのに、なんて高さ。さすがはチタン製)の導入を躊躇し、39×25が最大のギア、という態勢で挑んでいた。
もう一段軽いギアがあれば、もう少し楽に登れたに違いない・・というか、ワシなんかに追いつかれる事も無かっただろうが、ココはいっちょチャンスである。
必死に追いつき・・・・・抜いた。
そこからは、もう、ひたすらゴールを目指し走るのみ。
気が付けば、ずいぶん前に抜かれたルックのニーチャンにも追いついていた。
峠を越え、ちょっとした下りで抜く。
すると、いきなりゴールが現れた。
一気に、全開。
そして、ゴ〜〜〜ル!!!
スタートして、1時間18分46秒。
何と、684トップでのゴールである。
結局、順位は総合で153人中90位。
年代別では、40名中27位と、まあ、そんなモンではあったが、いや〜、頑張りました〜。
間もなくT野がゴール。
少し間を置いて、会長。
会長は、60代以上の年代別優勝特別賞を狙っていた(あくまでも賞にこだわるのである)ようだが、こちらは、この年代でもの凄く速い人がいて(何と、1時間12分03秒。50代の優勝タイムより速い。しかも、何とこの人、途中でパンクし、かなりのタイムロスをした上でのこのタイムである。信じられません。)残念ながら、2位に終わった。
しばらくたって、ミスターがゴール。
ゴール後、ミスター曰く。
『いや、もう、何度もやめようかと思ってん。』
『けどな、「ここでやめたら、オレ、かなり情けない」「ここでやめたら、オレ、かなりカッコ悪い!」と自分に言い聞かせながら、何とか止まらずに来たわ・・・。』
と。
人が無我の境地で走っていた最中、彼は、煩悩をパワーに変え走っていたのである。
ミスターを頑張らすには、後に、若い女子を走らすと良い・・・。
これは、能登以来発覚した、ミスターの意外な一面であった。
出発前は、現地の旨い店や、お土産のチェックに・・とそんな事にばかり気にしていたミスターを見て、『ほんま、大丈夫ですか?』と思っていたのだが、
いやいやしかし、けっこう頑張りましたな。
続いて、M井さんがゴール。
トレーニング不足や何やらで足が攣って、一旦休憩していたらしい。
そもそもそんなにバイクが得意ではない(自称)うえに、初めての自転車単体のレースで、このレースは、ハードだったかもしれない。
自転車のギア比も、ヒルクライムに合っていなかったのでは?
登ったら、スタート地点に向け、下山である。
雨なので、安全を考え、なるだけサポートカーにて下山するように、とのアナウンスが流れる。
といっても、ボランティアに支えられているようなこの大会。
そんな大ががりな収容車があるわけもなく、乗れる人数は限られているので、女性や走力に自信の無い人が優先である。
さっきまで『若いモンには負けん!!!』とピンシャンしていた会長が、『そりゃあ、やっぱりシルバー優先じゃろ。あ〜腰イタ。』と、早々に車に乗り込んでいくのがおかしかった。
雨の中、そろそろと下山し、おくとろ公園内の温泉へ。(参加者は無料)
激込みの温泉を出ると、オフィシャルの用意したお弁当と特産品のジャバラジュースが振る舞われ、抽選会。
続いて、表彰式である。
何と、キャプテンT野が、女子の部2位!!
チーム684、初めての表彰台であった。
聞くところによると、会長と共に出た大会では、ヤツは必ず何らかの賞をゲットして帰っているらしい。
愛弟子の活躍に、会長は目を細めていた。(写真は、今回入賞の面々。)
帰りは、また会長のマシンガントークに圧倒されつつ、吉野経由で大阪へ。
会長とM井さんを大阪で降ろし、桃谷の鉄板焼き屋『万歳橋』でT野曰くの『ごった煮』を食い、解散。
いや〜、皆さん、お疲れさんでした〜。
来年は、130キロ、フルに完走したいモンですな。
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