隊長の屋外な日々

 

 

8月28日 鈴鹿ロード2004。


毎年8月の終わりは『鈴鹿ロード』である。
もうこれは、自転車乗りの間では、ほぼ常識だ。(知らんけど)
天下のシマノさんが主催する、夏の終わりを締めくくる、ロードバイクの祭典。
ぶっちゃけ、日本最大の自転車イベントである。
いや、ホントに。
そういや、キヨシローと共に走ってから、もう一年たつんだなぁ・・・。

というわけで、今年も鈴鹿である。
(これは、去年、鈴鹿を走り終えた時に、もう決まっていた事でもある。)

去年は、2時間チームエンデューロにソロで参加し、274人中81という、僕なりにはすばらしく、世間的には微妙な成績を残しつつ、今年も2時間エンデューロのソロに出ようかなぁ・・と思っていたら、何と、鈴鹿は今年からソロのカテゴリーが無くなってしまっていた。
しかし、2時間チームエンデューロは、一番の人気種目。
やはり出ておきたいので、今年は、新人エガガとアノ御方も引っ張り込み、当日HPのライターの仕事も兼務するキャプテンT野との4人でチーム参加する事にした。
というか、684である以上、やはり鈴鹿は必須項目であろう。

チームエンデューロとは、まあ、簡単に言うと、リレーである。
2時間耐久レースと言った方がわかりやすいかもしれない。
2時間の間、各チームの選手が交代で走り続け、タイムを競うのである。
つまり、4人で出るとなると、単純に一人頭の走行時間は30分。
鈴鹿は、一周5.824キロ。
一人15分とすれば、一人2周しか回ってこない。
わざわざ鈴鹿まで行ってそれではちょっと物足りないので、個人の種目にもエントリーする事にした。
日本最大のイベントと言うことは、つまり日本最高のロード乗り達が集まる・・・かどうかは知らないが、これだけ集まるという事は、実際走ってみると、現在のアマチュアロード界の中で、自分がどの辺の実力なのかは、たちどころにわかってしまうのである。
僕とキャプテンT野は、オープン2(中級クラス)に。
で、どうせだったら、本格ロードの世界を肌で感じでいただこうと、エガガとアノ御方も大して説明もせず、勝手に、オープン1(初級者クラス)にエントリーをした。
実は、その下に『ビギナー』というクラスもあり、彼らは間違いなくソコなのだろうが、まあ、ちょっと揉まれてみましょうよ・・・と。
というか、そっちの方が面白そうかな・・・と。(笑)


当日、朝2時半起床。
車がないので、レンタカーである。
単車にて、三宮の24時間営業のレンタカー屋に向かい、3時50分に日産バネットのバンをレンタカーし、一旦帰宅。
自転車と荷物を積み込み、大阪でエガガとアノ御方をピックアップしで現地に向かった。

実は当日前、ホントはもうあまり言いたくもないのだが、またも強烈なマイナスパワーが僕の身の回りで発揮されてしまっていた。
本日応援担当で同行の予定だった『つっち』さんが、何と、この数日前に骨折。
テツヤ氏に続き、立て続けに我々のイベントに参加予定の方の骨折に、僕は、キャプテンT野よりマイナスの貴公子改め、マイナスの気孔師『マコ様』の称号が与えられ、半径5メートル内に近付くのも危険な存在になりつつあった。
ここまで来ると、もうかなり笑えないのである。
台風も近づき、現地の天気予報は雨。
もう、恐らく、誰もが確信していたに違いない。
今日のイベントで、必ず誰かが落車するだろう・・・と。(雨のレースほど危険なモノはないのである。)
そして、たぶんそうなると、無事では済まされないだろう。
かろうじて、それが自分でない事を、全員秘かに祈りつつ、土砂降りの名阪国道を抜け、鈴鹿サーキットに着いたのは8時半頃だった。

ところが、天気予報を覆し、何とお天気は曇り時々晴れ。
もう仕事モード全開のT野と合流し、エントリーを済まし、ゼッケン、計測チップ等を取りつけ、まずは僕とT野のオープン2である。
時間が少しあったので、自転車に乗って、鈴鹿の田園地帯を流しつつ、アップ。
秘かに、やる気は満々だ。(笑)
オープン2は、ロードのカテゴリーで、15歳以上、トータル3周17.5キロ。
こういう高速系のレースは、実は、出るのは初めてである。
集団の中では、エキサイトした選手達によって『どかんかい!ボケ!!』『どこ走っとんじゃ!!』『追え!コラ!!』などの怒号が飛び交うらしい。
う〜ん、緊張するなぁ・・・。
と、スタート位置に列んでいると、見慣れた顔にばったり。
社長(←通称)だった。
実は社長(←通称)も、仁川のムーンテイルのチームで、本日参加だったのである。
全エントリー504名。 スタートは、三つの組に別れ、2分おきで行われるらしい。

そしてスタート!
とりあえず、必死でモガく・・・が、けっこう抜かれる。
しかし何とか、先頭集団に食らいついた。
一旦先頭集団から離される・・・それはこのレースの終わりを意味するのである。
微妙な上り坂ながら、時速40キロ以上は出ていたのではないだろうか。
何とか坂を登りきり、そこからしばらくは平地。すこし休憩モード。
集団に付いていれば、平地や下りは、かなり楽に走れるのだが、 しかし、そこに甘んじてもいられない。
次に来る登りに備えて、少しでも前に行っておかねば、次の登りで、すぐにチギられてしまうのだ。
サーキットというのは、思った以上に起伏に富んでいるのである。

と・・・しかし、そんなやり取りも、一周で限界だった。
最初の一周目までは何とかトップ集団に食らいついていたのだが、ホームストレートエンドのシケイン手前で、ついに脱落。
あとは、落ちていく一方だった。
結局、152名中103位。ゴールタイム29分47秒。平均速度35.19キロ。トップとの差3分56秒。
中級クラスを自負するロード乗りの中に入ると、僕なんか、まん中よりも遙か下であった。(涙)
これからは中級を名乗らず(って、別に名乗ってなかったけど。)、『初心者に毛の生えたようなモンです。』と、名乗るようにしよう・・・。

ヘトヘトでゴールしたあとは、今度は、エガガとアノ御方の『オープン1』である。
息も上がったままで、スタート地点に行くと、もう招集1分前を切っているというのに、ヤツらは列の最後尾でダラダラとくっちゃべっていた。
『何してんっすか!!ちゃんとゼッケン順に、列ぶところとか決まってるんっすよ!!』
と急いで送り出す。
だいいち、出発組が違っているのに(エガガは3組、アノ御方は2組)一緒の所に列んでいる事自体、理解に苦しむ。

ホームストレートエンドのシケインの先に向かい、応援の場所を確保。
間もなく、アノ御方がやって来た。
まだ、スタートして1分くらいしかたっていないのに、もうすでに、太ったオジサン方と3人ぐらいで最下位争いをしていた。
『いきなり最下位かーーー!!!』と、ゲキを飛ばすと、すぐ傍の、最下位争いをしているオジサン方も、苦笑。
いや、あなた方に言ったわけではないんですけどね・・・って言ってるも同然か。(笑)
(後でわかった事だが、このオープン1、別にオープンW1っていう女子の部があって、オープン1へのエントリーの女性は、実はアノ御方だけだった。最初はエガガと競わせればいいか〜と思ってこのエントリーだったのだが、その時は、組に分かれてのスタートだとは知らなかったのである。すまん。)
間もなく、3組のエガガ通過。
先頭集団からは、もうずいぶん遅れてしまっていたが、最下位にはまだけっこうゆとりのあるポジション。
しかし、こちらも、かなりキツそうである。
オープン1は、2周回なので、そのポイントで、次の周回を待つ。

2周目、アノ御方がやって来た。
最下位争いからは何とか抜け出せた模様で、けっこういい感じだ。
声援を送り、次のエガガを待つ。
(結局アノ御方は、178人中167位だった。ゴールタイムは27分29秒。これをオープンW1(女子)に照らし合わせると・・・58名中54位・・・どっちに出ても結果は一緒だったか?(笑) ←写真は、仕事中のキャプテンT野)
しかし、エガガはいつまで待ってもやって来ない。
一瞬、嫌な予感が頭をよぎる。
実は、ついさっき、僕の出ていたレースで、目の前で集団の中の落車を目撃した所だった。
自転車2台が宙に舞い、何処かのパーツが割れて飛び散り、どうやら4〜5台が巻き込まれた様子だった。
若干の下りだったので、恐らく40〜50キロは出ていたと思う。
そして、いつまでたっても、エガガはやってこなかった。
これは、まったくもってヤバイぞ・・・
というか、次の犠牲者はエガガだったか・・・やはり。(←なんとなく)
どう考えても最下位であろう・・・という選手を見送った後、薄暗い気持ちで、とりあえず、集合場所になっている、シマノブースへ向かった。
すると・・・何と、そこでエガガが、涼しい顔をしてドリンクをに飲んでいるではないか。
『H国さん!!(エガガの本名)こんな所で何やってんすか!!??』
『え?レースって、一周じゃなかったの?』
がっくし。
『なんでそんな事思ったんすか?』
『いや、アノ御方が、一周だって言ってたから・・・。』
脱力。
アノ御方・・いったい、何の根拠があって、そんな発言が出てくるのか・・・。
そしてエガガもエガガである。
もともと、ちゃんとスタート前のライダーズミーティングを聞いておけば、そんな事にはならないのだ。
が、どうやら、スターと前に出てくる、やたらと一段高いところから『気合いだ〜っ!!』とカツを入れてくれるオッサン(どこぞの会長さんらしい)に目が釘付けになり、エガガ自身、他のことはいっさい聞こえなくなってしまったらしい。(ま、気持ちはわかるが。)

間もなく、アノ御方登場。(本人はちゃっかり完走。)
一周発言に、みんなの非難が集中したのは言うまでもない。


気を取り直し、車にて鈴鹿のジャスコに行き、レストラン街で昼食。
午後からは、チームエンデューロである。

第一走者は、さっき、勝手に一周でレースを終えてしまったエガガ。
我がチームは、一人一周ごとでの交代の作戦を取ったので、 第一走者は、単純に人より多く周回する可能性が高い。
沢山走って、元を取りなさいと。
そして予定外にも、この目論見は、一周目で早くも達成される。
実は、第一走者は、強制的に二周走らねばならなかったのだ。(出走前のライダーズミーティングで発覚。恐らくピットの混雑を避けるためであろう。)
各チームの第一走者の猛者に揉まれて、エガガは二周目後半、足を攣ったまま、這々の体のピットイン。
第二走者はアノ御方である。
とにかく、この初心者二人を走らせようという作戦・・というか魂胆だ。
もうこの辺になると、コースには断続的に自転車が走行し、順位なんかはまったくわからない状態。
そして次の走者は、取材が忙しく、アップ無しでオープン2に挑み不本意な成績に終わった、選手件レポーターのキャプテンT野。
さすがに前の二人と違い、アッという間に一周を終え帰ってきた。(後日、このチームエンデューロは、T野の手により、チーム684のヘッポコ参戦記として、シマノのオフィシャルHPにアップされる事となった。これでいいのか?A奥氏。(笑))
そして、第四走者は僕である。
とりあえず、気楽な感じでスターとしたチームエンデューロなのだが、走り始めると、やはり頑張ってしまう。
早そうなニーチャンの後で、目一杯ドラフティングし、一瞬だが、前を引き、誠意を見せつつ、スマンもう限界じゃ・・・・と、苦笑いを浮かべつつ、後に下がり、しかし何とか、好タイムで一周を終了。
そんな事をもう1ローテーション繰り返し、そして、2時間にあと十数分と迫った所で、恐らく最終走者になるであろうエガガにバトンタッチした。

この時点で、エガガを除く他の3名は各自二周、エガガのみが三周を消化。(最初二周走ったからね)
そして、最終走者となった事で、エガガは4周目に突入である。
これで、もう十分、オープンの損は取り戻しただろう。(笑)
残りももう15分を切っているので、ヘトヘトのエガガがその前に帰ってくることはあるまい。
と思いつつ、ピット前でゴールの瞬間をカウントダウンしていると・・・何と、今、目の前を通過していくのはエガガではないか!!
なんだ知らんが、エガガ、頑張りすぎだ〜っ!!
(ちなみに、ピットロードは、レース終了5分前にクローズしてしまうので、もし、この間に帰ってきたら、もう一周しなければならないのである。)
エガガの頑張りに敬意を表しつつ、慌てて、『じゃあ、ゴールの写真を撮るか!!』とゴールラインへ走る。

そして、ゴール。
総走行周回11周、平均速度28.98キロ。
2時間エンデューロ4人の部、159チーム中74位。
エガガの、奇跡の快走により、何と、まん中より前の快挙(?)であった。
そして、 他のみんなは二周回なのに、エガガのみ、一人で五周回。(笑)
いやいや、お疲れさまでした〜。


隣接するクアガーデンで、温泉に入り汗を流し、恒例の花火へ。(ここの花火は、近くて大迫力。お勧めです。)
それから肉バカのキャプテンT野の提案で、バカの一つ覚えのように焼き肉を食い、帰阪。
レンタカーを返し、自宅に着いたのは、早朝4時半頃だった。

いやいや、皆さん、お疲れさまでした〜。
そして、無事で何よりでした。
次は能登で頑張りましょう!!

 

 

 

8月22日 篠山へトレーニングに。


今年も、『ツール・ド・のと400』に出ることになった。
僕的には、去年完走したので、今年の参加はどちらでも良かったのだが、ミスターの強い要望があり、参加を検討していた。
というか、ミスター。
アナタは去年、あんなに各方面(自衛隊までも)に多大な世話を焼いてもらいながらやっとこさ完走できたというのに、そしてその後、特に走り込みらしい走り込みもせず、去年の二の舞の可能性すら大だというのに、何が貴方をそこまで能登に駆り立てるのですか?!
その情熱の熱源は何なのでしょう?
しかしま、今年もあの、ヨレヨレであっぷあっぷの、まさに溺死寸前『ドザエモン走行』が見られると思うと、少し楽しみではある。
そして、今年はさらに、チーム684の新人で初心者の、エガガとアノ御方、そして、モンゴルをMTBで走破した経験もある心強い助っ人、テツヤ氏も参加する事になり、さらに波瀾万丈かつ面白そうな展開になってきた。
やはり、この『ツール・ド・のと400』というイベント、『サバイバルサイクリング』と銘打っているだけあって、完走できるかどうかギリギリの人が一番楽しめるイベントなのかもしれない。(そうか、だからミスターは出たいのかも。)
そして、我がチーム684は、そんな逸材を3名も抱えた、いわば、ドリームチームなのである。

この『ツール・ド・のと400』が開催されるのは、9月18.19.20日。
完走するためには、それまでに、『1回100キロ以上のツーリングトレーニングを、最低3回は走っておく事!』と、特に、新人二人にはお達しを出していたのだが、なかなか難しかったようだ。
エガガは、それでも、地道にトレーニングを積んでいて、徐々に技術と体力を整えつつあるようだが、アノ御方に至っては、飲みに行っている暇はあっても、トレーニングに行っている暇はまるで無さそうな様子。
結局ヤツは、淡路島以来、ほとんど走っていないのではないだろうか?
テツヤ氏は、まったく大丈夫だろうから、問題は、ミスターと、特にアノ御方であろう。
しかし、そんな全くトレーニングもせずに、いきなり完走できるほど、『ツール・ド・のと』はアマいもんでは無い。
初日140キロ、二日目165キロ、3日目125キロ、能登半島をほぼ一周する長丁場、まさに彼らにとっては『サバイバルサイクリング』なのである。

で、コレではイカン!!!と、トレーニングの日を設定したのが、この前のキャンプの時。
それが8月22日の今日である。
今後大会当日までは、僕の予定が詰まってしまっているので、僕がトレーニングを見れるのは、実質、今日が最後である。
そして、本格的に遠出できそうなのも、恐らく今日がラストであろう。
と言うことは、本日が、ツール・ド・のとに向けての実践的なトレーニングでは最終になってしまう・・・という事である。
アノ御方なんか、未だ、一日に70キロ以上走った事がないのに・・・である。
考えれば考えるほど不安になってくるので、とりあえず何も考えずに、今日は140キロほど走ってもらうことにした。
完走云々を言うのは、今日のの結果を見てからでも、遅くはあるまい。

しかし、このトレーニングですら、いきなり出鼻をくじかれることになった。
というか、マイナスパワー、またも炸裂。
何と、このトレーニングの前日、テツヤ氏が、自転車で落車。
膝の皿を割り、緊急手術&入院する事となってしまったのである。
リハビリも含め、全治1ヶ月半の大怪我である。
当然、一ヶ月後に控えた『ツール・ド・のと』の参加も断念せざるをえない状況になってしまった。
テツヤ氏のいち早い全快を祈りつつ、僕らは、能登の貴重な戦力を失った。

そして、やはり今日も、このマイナスの貴公子パワーを避けて通る事はできなかったのである。


まずは、朝起きたら雨。
7時半、グアム旅行に出発する家族をナンバまで送り届けた後、ひとまず大阪の集合場所に行っているミスターから、電話が鳴った。
『雨、降ってきましたけど・・・』
そしてその後、エガガから電話。
『雨降ってますよ?』
・・・・・君たちに言っておきたい事がある。
少々雨が降っても、能登では走らねばならんのだよ!!
そして、今日はその『能登』のための最終トレーニングではないのかね!
こんな小雨程度でガタガタ騒いでては話にならん!!(実際は、大阪はかなりの土砂降りだったらしい。)

しかし、間もなく雨も止み、9時前頃、皆さん西宮の川口邸に集合。
まずそこで、エガガ号のリアのスプロケットを27Tに、ケツ痛で悩むアノ御方のサドルを、スペシャライズドの女性用サドルに換え、空気圧を点検。
すると何と、アノ御方のバイク、ほとんど空気が入っていないではないか。
よくこれで、堺から大阪までパンクせずに来れたもんである。(たぶん、チューブには、だいぶダメージがイっているに違いない。)
実は、タイヤもかなり古くヘタっているのだが、これは時間も無いので、帰ってから処理することにして、とりあえず急いで出発・・・と思ったら、今度は、ミスターが・・・
『すいません、ヘルメット忘れました。』
相変わらず、毎度毎度、なかなかスタートに時間のかかる人である。
『う〜ん、じゃあま、しょうがないですねぇ。無しで行くしかないでしょう。』
『いや、家じゃなくて、さっきトイレ借りたときに、カワグチさんの家に・・・』
一同脱力。
急いで取りに行かせ、バタバタと出発しのだが、このとき見送ったアノ御方のタイヤが、その後、色んな問題の元凶となっていくのである。

まず、出発してまだ6キロも走らないうちに、後方で『ぱーーーん!!!』と乾いた銃声のような凄まじい音。
見ると、アノ御方のバイクの後輪が見事にパンクしているではないか・・・というか、破裂したのである。
どうやら古くてバリバリになっていたタイヤが高圧に耐えられず、タイヤのサイドが裂け、パンクしたらしい。
チューブはベリベリに裂け、とても修理できる状況ではなかった。
で、アノ御方なんかが、換えのチューブを持っているワケもなく、同じ650Cのタイヤを履いているエガガのチューブを借り(僕らは700Cなので、サイズが合わないのである。)何とか修理したが、やはりタイヤも裂けていて、とても走れる状態にはならなかった。
もうダメか・・・今日のトレーニングは諦め、とりあえず押して引き返そう・・・。
そう思った時、『あ!これに替えたらええんちゃうん!?』とミスター。
何と、エガガが、替えのタイヤまで持ってきていたのである。
コレ幸いと、タイヤも交換。
大幅に時間をロスしつつも、何とか再出発した。

この時点で、当初予定していた時間から、1時間近く遅れていた。
何とか取り戻そうとスピードを上げるも、しかし少しでも上げると、すぐにアノ御方がチギれてしまう。
時速は、20キロ前後を行ったり来たり。
これでは、とても、能登の制限時間中に完走なんて不可能である。(平地では最低でも25キロ。できれば、28キロくらいで巡航できなければ、ちょっと辛い。)
『オレから2メートル以上離れるな〜!!』(自転車は、風の抵抗をなるだけ抑える事がスベテである。そのためには、少しでも前走者に付いて走らなければならないのだ。これを、ドラフティングという。スリップストリームと言った方が、わかりやすいかな?)
そうゲキを飛ばすも、あまり効果は無し。
よく見てみると、変速がうまく使えていないようである。
自転車の変速は、ペダルを回していないと使えない。
なので、停車する前は、発進のことを考えて、あらかじめ軽いギアに落としておく必要があるのだが、それを、さっきまで高速で走っていた重いギアのまま発進しようとするもんだから、出だしは遅いはずである。
で、出だしで遅れるから前と離れてしまい、ドラフティングが使えずどんどん遅れることになってしまうのだ。

しかし、僕は、先頭を引かねばならないので、なかなか走りながらアドバイスもできない。
そこで、ミスターの登場。
というか、ミスター、今年は、自分よりもイケていない(であろう)新人二人も能登を走るというので、もの凄く嬉しいようなのである。
ペダルを回す足取りが軽いばかりではなく、口もよく回る。
後に付いて、逐一、選択ギアや、チェンジのタイミングを理論付きで指示している。
元々、ウンチクの人なので、人に説明するのは得意なようだ。(人の言うことはたいがい聞いていないが。)
意外なところで、チームワーク発揮。

しかしやはり、今日は、事がすんなり運ばない。
最初の峠を越え、三田市に入った所で、アノ御方のペースが、目に見えて落ちてきた。
聞くと『腹が減った・・・』と。(ミスター級に世話が焼けるヤツである。)
人より早く腹が減る人は、携帯食を持ち歩いてしかるべきなのだが、まあ、しょうがないので、近くのコンビニに。
そこで少し休憩して、さあ、再出発・・・と思ったら、何と今度はエガガのバイクの前輪の空気が抜けていた。
パンクかどうかわからないので、とりあえず、空気を入れてみて再出発してみたが、すぐに抜けてしまったので、どうやら、本格的にパンクのようだ。
路肩で修理。
普通は、換えのチューブを持ち歩いているので、チューブを替えれば済むのだが、そのチューブは、先ほどアノ御方の分に使ってしまっている。
しょうがないので、とりあえずチューブを修理することになったのだが、穴の開いている所が、チューブのゴムのつなぎ目の所で、なかなか修理しにくい部分だった。
一旦修理し、空気を入れしばらく走ってみたが、どうやらうまくいっていない事が発覚し、またタイヤを開けるハメに。
パンク修理は、今日3回目である。
今度は、とびきり丁寧にかつ慎重にやり、何とか修理成功。
しかし、タイヤが極端に減っているので、あまりムチャな走りはできない。
実際、このためのエガガ持参のニュータイヤだったのだが、それはもうアノ御方のバイクに使ってしまっていたので、だましだまし慎重に走るしかなかった。
そしてこの時点で、もう13時半。
全行程ののうち、まだ三分の一しか走っていないのである。
大丈夫か、ちゃんと無事西宮に帰れるのか?!

しかし、まだまだ、マイナスパワーは行く手を阻むのである。
篠山に向かう峠を越え、舗装の悪い下りをカッ飛んでいると、今度はスーパー下り好きのミスターが、突然行方不明に。
何と、今度は、ミスターがパンク。
一度のツーリングで、4人でパンク修理4回というのは、ちょっと普通では考えられない事である。
そして、やっとの思いで篠山に着き、『昼飯〜!!』と入った料理屋では、15時までが営業時間なのに、14時50分に入って、『営業終了!』と追い出され、外では雨が降ってくる始末。
結局、近くの定食屋に入り、牛トロ丼(900円、けっこうウマ。)を掻き込み、事なきを得たが、まだ半分もきていないのに、時間は、もう15時半を回っていた。
このままピストンで帰れば、まだ少しは早く帰れるかもしれなかったが、それでは走行距離が120キロを下回ってしまう。
今日の目標は、長距離を走ることだったので、黙って僕の一存で篠山の北部を回り、距離を稼ぐ事にした。

篠山の平坦路は、なかなかいいペースだった。
ミスターのアドバイスで、アノ御方も、徐々にロードレーサーの乗り方を修得しつつあるようだ。
しかし、篠山北部を回り、『さあこれから峠を越えて帰路に就くぞ〜。』と登りに差し掛かろうとした時、今度は大粒の雨が降り出した。
たまらず空き家の軒先に避難。とても走れるレベルではない。
と、今度は雷。
雨はさらに強さを増し、こりゃあ、絶対大雨洪水警報くらい出てるぞ!なくらいの雷雨となった。
『おいおい、マジで帰れるんかいな?』
と、薄暗くなりつつある雨空を見上げて、今後の対策を思案している僕らを尻目に、ミスターは、切り株のような物に座って爆睡。
まあ、ジタバタしてもしょうがないといえばそうなのだが、この、あっさりと自分の未来を放棄するかのような姿勢。
毎度ながら、サスガである。
ある意味、大物なのかもしれない。
『ジャワの王様の末裔』(←内輪ネタ)というのも頷ける所である。
結局、この雨は1時間も降り続き、雨が小止みになって、再出発できた時には、もう17時になろうとしていた。
残り60キロ。

しかし、その後は快調だった。
激登りの峠では、それなりに苦戦したが、その後、三田に入ってからは、30〜28キロ巡航。
この調子だと、能登も大丈夫なのでは?と、本気で思えるほどだった。
最後は、グアムに行ったはずだったミスター夫人が、何故か犬鳴温泉から電話してくるというオチまで付き(どうやら、台風で飛行機が飛ばなかったらしい。 恐るべし、マイナスパワー。(笑))なんだかんだと、負のエネルギーに翻弄されつつも、20時半頃、無事西宮に到着した。
天然温泉の湧いている銭湯『双葉温泉』(お勧めです!)に入り、隣の食堂居酒屋で生ビールで乾杯。

本日の総走行距離、137.7キロ。
イヤイヤ、皆さん、お疲れさまでした〜。
これで、能登も何とかなるか?!

こうご期待・・・である。

 

 

 

8月13.14.15日 帰省。


突然車を失って、はや3週間近く。
どうも、未だショックから立ち直れていないようだ。
町中で、同じ『ディスカバリー・シリーズ1』を見かけると、意味もなく、追いかけてしまいたい衝動に駆られてしまうのが、その証拠である。
しかし、そんな感傷にばかり浸ってもいられない。
早く次の車を手配しないと、秋以降のイベントにも支障が出まくりなのだ。

で、インターネットや何やらで、暇な時を見つけては、色々調べてみるのだが、どーも、ピンとくる車がない。
まず、雪上やオフロードに行くことが多いので、4駆である事。
頑丈で長く乗れ車である事。(故障しないという意味では無い。そりゃ、しない方がいいけど。)
自転車やキャンプ道具や、カヌー等、荷物が沢山積める事。
長距離を走ることが多いので、燃費もそれなりにイイ方がいい。
そしてできれば、安いに越した事はない。
と、色々書いたが、やはり一番大事なのが、乗ってて楽しい車であること。
機能だけを考えたら、ハイエースなんかの4駆のバンで十分なのである・・・というか、それがベストな選択だと思うのだが(といっても、コレも決してお安くはないが・・・おや?ハイエース、モデルチェンジしてますな。→)、やはり、車好きとしては『乗ってて楽しい!』これは、譲れない所なのである。
でまあ、そんな自称車好きは、現在日本に存在する現実的かつ実用的な範囲でに買えそうな車は常に一通りチェックしているつもりなので、いくら調べても今さら新しい出会いがあるわけもなく、また、悶々とするのである。

そんな所へ、ディーラーさんから電話。
修理が難しいとなったら、早速、新車の営業である。(ディーラーさんも商売だしねぇ・・。)
で営業マンが言うには、今ある廃車寸前の僕の愛車を20万円で下取りすると言うのである。(新車の値引きは別で。)
言いたくはないが、8年落ち18万キロを走破した僕の車は、たとえ動く状態であったとしても、とても20万の値が付くような代物ではない。
じゃあ、話だけでも・・・と、とりあえず、ディーラーに出向いてみる事にした。

勧められた車は、新型の『ディスカバリー・シリーズ2』の限定車。
ディスカバリーも、来春頃には、さらに新型の『シリーズ3』が出るという話なので、在庫処分にかかっているのかもしれない。
カーナビなんかも付いて、かなりお得な感じである。(別にいらないけど。カーナビ。)
しかし、そのディスカバリー、ガソリン車で、ハイオク仕様で、燃費3〜5キロ/1リットルなのである。
長距離を走る僕のような人間には、チト辛い。
どんだけ辛いかと言うと、今まで白馬まで往復1万円くらいのガソリン代で済んでいたのが、いきなり3倍の3万円になるのである。
そして、この新型は、僕の持っているシリーズ1(一番安いグレード)よりも、さらに高級感が増していて(値段も100万円以上高い。)どうも僕的には、しっくりこない車になっていた。

と、そこで、ディフェンダーの話になった。
ディフェンダーとは、ランドローバーが世界に誇る、ヘビーデューティーの固まりのような車である。
1983年に発売以来、モデルチェンジをほとんどしていない、クラシックとも言える アルミのリベット打ちっ放しの弁当箱のように四角いボディーに、トラックのような内装と乗り心地。
しかし、オフロード走破性は究極で、アフリカのサバンナやボルネオのジャングルが似合いそう・・・というより、それしか似合わないような車である。
ま、解りやすく言うと、ジープみたいなモンかな。(あまり、一緒にしたくはないが・・・。)
この車、僕が、ディスカバリーを買った時には、正規輸入が無かった。
で、その当時の担当営業マンだった『よっさん』に、ディスコ(ディスカバリー)が故障して修理する度に、ランドローバー西宮のショールームでアイスコーヒーを飲みながら言っていたモンである。
『ディフェンダーの110(ワンテンと読む)は入らないの〜?』と。
いわば、僕の憧れの車だった。
そう、憧れの車だったのだ!!
そして、突如、その110(ディフェンダーは、そのホイルベースの長さで、90、110、130があり、一番スタンダードなのが110である。)の正規輸入が始まったのが2年半前。
しかし、その頃は、かなり高価な買い物になるし、ディスコを手放す気にもならなかったので、見送った。
そしてその後すぐに、排気ガス規制が施行され、もうディフェンダーの夢は潰えたか・・・と思っていたのであるが・・・。
『ま、一応・・・』と、気分だけでも、ディフェンダーの見積もりを取ってもらった。
すると、何と、もう日本には入ってきていないはずのディフェンダーの赤色が、まだ在庫が2台あるというのである。(現行の色は、今一つ好きな色が無かった・・というか、ディフェンダーを買うなら『赤』と秘かに決めていたのだ。)
実は、もう、この車、排ガス規制前にY田家が滑り込みで購入(緑色)しており、もし買ってしまうと、お揃いになってしまうのだが、イヤイヤ、しかしこの車に先に目を付けていたのは、僕なのである。
というか、そんな事はこの際どうでも良くて、とにかく、僕の気持ちは大きく揺らいでいた。
決して安い車ではない。
というか、かなり無理な買い物である事は確かである。
そんな僕の気持ちを見透かしたように、百戦錬磨のディーラー営業マン(実は店長)が、そこで決めの一言。
『わかりました、この20万の下取りは、ディスカバリーの買い換えのみが対象なんですが、その分を、ディフェンダーの値引きとして対応しましょう!』(ディフェンダーは、ほとんど値引き無しの定価で売らている、今時、凄い車なのである。)
トータル35万円の値引きの提示だった。


そして、その週末、僕は高知の実家にに向かって、電車に乗っていた。
青春18切符を握りしめて。(ご存じ、普通電車しか乗れないJR一日乗り放題切符。色々検討したが、コレが一番安かった。(笑))
ディフェンダーを購入するには、どうしても、親の援助(お金ではない)が必要だったのである。
本来、人に頼み事をするのが大の苦手の僕が、決して仲がよいワケではない親に向かって頼み事をするのは、実際、もの凄いストレスだったのだが、しかし、今回ばかりは、何とか話を丸く収めて、書類にハンコを押してもらわなければならない。

JR西宮から、芦屋で新快速に乗り換えて姫路まで。
山陽本線普通で岡山に行き、マリンライナーで四国へ渡った。
気が付けばため息、合計200回くらい。(笑)
これではイカンと、坂出の1時間の乗り継ぎ待ち時間に途中下車し、本場讃岐うどんとビールで旅気分を盛り上げ、出発から約10時間後、高知の実家に着いた。

外では、よさこい祭りの後夜祭の花火が打ち上がり、夏の後半を告げていた。


交渉は・・・うまくいった・・と言っておこう。
いや、この時点では、色々とまだ問題は山積みだったのだが、とにかく、新車購入の手はずを、ほぼ整える事には成功した。
翌日は、10年ぶりくらいに墓参りを済まし(お盆のご先祖様は、お墓ではなく家に帰ってくるので、お墓に行っても留守らしいが。)、日曜日の朝10時40分高知駅発の土讃線(未だに電化されておらずディーゼルである。なので高知では、汽車と呼ぶ。)に乗り帰路に就いた。

今回は、実家に帰った事で、かなりのマイナスエネルギーを消費したのか、マイナスパワーは、控え気味。
帰りに土讃線が人身事故で遅れ、ザックの中では、帰りに持たされたラッキョウ漬けの汁が駄々漏れ。
悪臭を放ち、同乗者の皆さんにご迷惑をかけ、 やっと、人身事故で遅れた土讃線を抜けると、今度は大雨で、予讃線、マリンライナーと、ダイヤは乱れまくり、出がけにプリントアウトしていた時刻表は、ほとんど役に立たなかった・・くらいであった。

十分か?(笑)

そして僕は、最近立て続けに起こっているマイナス事件に頭が冒され、この時点ではとても、このまますんなり新車の購入・・・となる気がしなかった。

さて、無事、納車にこぎ着ける事ができますかどうか・・・。

 

 

 

8月7.8日 丹後半島でキャンプ。


車が無くなったという事で、僕のライフスタイルは一変した。
とりあえず、動力で動くモノは単車のみ。あとは、公共交通機関と自転車と徒歩の生活。
山の中に住んでいる僕は(笑)ビール1箱買いに行くにも大変である。
そして、今後のレジャー計画にも、多方面で影響が出てきた。
大きな所では、8月末の鈴鹿ロードをどうするか?(僕の車に自転車4台積んでいく予定だったのだ。)
9月の3連休の『ツール・ド・のと400』もヤバイぞ・・・などなど。
そんな中でも、最も緊急を要するのが、一週間後に予定されていた『後毎年恒例、Bルーの夏キャンプ』であった。
とりあえず、ディーラーに車を預けた帰り、速攻で、車が使えなくなった事を、ツアーコンダクターのキャプテンT野に電話をしたのだが、その時は向こうも、なんつーか、青天の霹靂状態。
その後の事態は、ちょっとしたパニックであった。
イヤ、それくらい、僕の車は、何かと重要なウエイトを占めていたのである。

このBルーキャンプ。
毎回、20人くらいの参加があるのだが、その中でも、アーバンライフなシングルやダブルの方々は、皆さん、車を所有しておられないので、毎回、配車は、けっこう大変なのである。
そして特に今回は、K下氏が引っ越しで来れなかったので、さらに車が少なかった。
僕の車を除くと、S條氏のアストロと、Y田家のディフェンダー、ミスターのゴルフ、この3台だけだったのである。
ミスター号は、家族で完結しているので、皆さんが分乗できるのは、Y田号とS條号。
乗車定員13名。しかも、目一杯詰め込んでである。
で、計算してみると、どうやら、合法的な全員乗車は不可能である事が判明した。
しかも、肝心のキャンプ道具は、僕の装備に、大いに依存していた。
(テント、タープ、ツーバーナー、etc・・・恐らく、全体装備の半分ほどは、僕の備品である。)
で、この大量の装備をいかにして運ぶか。
そこも大問題として浮上した。
レンタカーを借りるなどの案も出たが、しかし、そこは流石に、長年烏合の衆をまとめてきたツアコンT野。
何処からか車をかき集め、なんとか、当日は、車5台体勢を整えてしまった。
そして、僕の大量のキャンプ道具は、僕が前日にY田号を借り、ディーラーに眠っている僕の愛車(車に積みっぱなしの道具もけっこうあるのだ。)と我が家から山積みのキャンプ道具を運び出す事で、何とか出発の体裁を整える事に成功したのである。

とはいっても、実際の僕は、車を失ったショックから、まったく立ち直れていないのが現状。
病み上がりで口内炎もまだまだ完治にはほど遠い状態で、こんなんで焼き肉BBQなんぞ食えるか〜?と、僕のテンションは超低空飛行のままである。
実際、こんなに元気のない自分を見るのは、我ながら、生まれて始めてかもしれない。(笑)
というわけでかどうだか知らないが、ここん所続いている、マイナスパワーも全開。
まずは、行きの道中、この前点検に出したばかりのS條家のアストロのクーラーが故障停止。
灼熱地獄ドライブとなり、同乗者はS條家を残し、無情にも他の車に避難。
そして、現地に着き、激暑の中、テントを設営。
あまりの暑さに海に飛び込むと、今度は、まだ盆前なのにクラゲの嵐で、全身を刺されまくり。
アテにしていたサザエやアワビも、採取どころではなく、晩飯のおかずが一品減った。
さらに、せっかくこの前買った防水のデジカメは家に忘れ、そして、テントサイトでは、アノ御方が草むらを歩行中、心ない誰かが捨てた釣り針を引っかけ、足の小指と薬指の間に返しまでザックリ刺さる一大事。
痛がる中、キャンプ場の管理人からペンチを借りてきて引っこ抜く、大騒ぎとなった。
そしてついに、僕はキャプテンT野から、『マイナスの貴公子』の称号を賜るに至ったのである。
ココまで来たら、美浜原発の事故もオレのせいか?と思ってしまいそうになったほどだ。

ま、実際のキャンプは、BBQも口内炎に滲みるながらも何とか食い、しばらく控えていたビールも大々的に解禁。
夕日もすばらしく、夜は花火、空には天の川。
翌日は、前日に行ったのと反対側の平海岸に行き、クラゲはゼロ。
(ま、サザエもゼロだったが。)
帰りは、丹後半島の超開放的温泉『宇川温泉・よし野の里』で汗と海水を流し、帰路に就いた・・・な〜んて、まさに夏休み的週末。
下がったテンションも徐々に回復し、リハビリには丁度良いイベントとなりました。
皆さん、お疲れさんでした〜。

 

 

 

8月6日 ここんとこ。



ご存じの通り、ここんとこ、すっかり更新をサボっていた。
というか、日記どころではなかった。
というか、書く気力も失せていたと言った方がいいかもしれない。

いったいこの間、何が起こっていたのか。
とりあえず、仕事は忙しかったのだが、そんな事ではない。
う〜む・・・。
さて、どこから書いたものか・・・。


思い起こしてみると、その予兆は、少し前からあった。
確か、今年の夏前ぐらいからである。
家のTVの調子が悪くなり、その後、たった1年半しか使っていない、パソコンの液晶モニタ−が突如壊れ、カヤックでデジカメ水没、同時に、車のキーレスエントリーも水没し使用不能になった。
そして、今度は、一ヶ月前に交換したばかりの腕時計の電池が、何故か速攻で無くなる始末。
人はこの現象を、『僕の身体から、何か得体の知れないマイナスのエネルギーが放出され、そのせいで、身の回りのモノが次々に壊れていくのだ。そうに違いない!!』と、恐れおのいた。
しかし、事態はそんなモノでは終わらなかったのである。


それは、午前中から、もうすでに30度をゆうに超える暑い日。
中国自動車道登り追い越し車線を、我が愛車で、クーラー全開、爆走中の事だった。
そして、それはいきなりだった。
突如、いつもの、ディーゼルエンジンの唸りが充満していた車内が静まりかえった。

エンジンが止まったのである。

一瞬、何が起こったのかわからず、小パニック。
とりあえず、惰性で動いている間に、ウインカーを出し、車線を2つ横切り、路肩に車を止めた。
『バッテリーか?! いや、ラジオは聞こえているし、ウインカーも出る・・』
しかし、セルを回してみると・・・セルは回らない。
やはりバッテリーか・・・?
とりあえず、JAFに電話し、サービスを手配した。
そして、ディーラに電話・・・と、ふと気づくと、何と、ボンネットから煙が出ているではないか。
一瞬、最近の某○菱車の炎上事件が頭をよぎり、慌ててボンネットを開ける。
見たところ、燃え出しそうな気配はなく、煙は、どうやら水蒸気か、滲んだオイルが熱でくすぶっているような感じで、ほっと一安心。
しかし、ディーラーのメカニックの人と色々話しつつエンジンルームをチェックするも、原因は今一つわからずである。
しばらくすると、道路公団の車がやってきた。
公団の人の指示で、坂道を手押しでバックし、少し広い避難帯へ停車。
そこで、やっと水温計が振り切っている事に気が付いた。
何と、原因はオーバーヒートだったのである。
しかし今朝まで、クーラントが漏れていた気配はなかったし(古めの外国車に乗っていると、エンジン下のチェックなんかは、わりと無意識にするようになるのである。)今まで、そんな症状も、全く無かった。
いったい、何が原因で・・・?
そして、待つこと1時間。
やっとJAFが到着し、とにかく、西宮のディーラーまで、レッカーする事となった。

エンジン停止の原因は、『リザーバータンクに亀裂が入り、そこから一気にラジエターのクーラントが抜けてしまった。』というモノだった。
そして、エンジンが高温になりすぎて、停止・・・。
一気に抜けてしまったので、水温計が上がるのも一瞬だったと思われる。
もし、途中で気が付けば、『エンジン停止』は免れただろうが、まったく気が付かなかった。
メカニックからは、最悪、エンジンはもうダメかも・・・との悲しい宣告を受け、意気消沈で帰宅。


しかし、一方で仕事は、超多忙を極めていた。
シマノバイカーズの一週間前から続いていた怒濤の納期3連発を消化し、この4日後、全ての仕事を終えた晩には、今度は、原因不明の38度の高熱が出ていた。
そして、その翌日にディーラーから電話があり、修理するなら、エンジン積み替えで120万円はかかるとの事。
まさに、泣きっ面に蜂とは、この事である。

そして翌翌日、この高熱は、最高39.1度を記録。
喉痛と、口内炎が口の中全体にでき、ろくに歯磨きもできず、ウイダーインゼリーしか食えない日々。
普段、口内炎なんてできた事が無かったので、これは辛かった。
何しろ、バナナが浸みて、食えないのである。
しかも、この高熱は、この後一週間も続き、一部では、『タダの夏風邪では無いのでは?』(後日、西ナイル熱ならぬ、西夙川熱と命名された。)と、重病説まで流れる始末。(そして、口内炎が完治するまでには、さらに2週間を要した。)

しかし、車の件も、放っておくわけにはいかない。
八方手を尽くし、 西宮で名高いカリスマ整備士を紹介してもらい、中古エンジンの積み替えも含めて、何とか修理の道を模索していたのだが、そこにも、最終的には、買い換えを勧められ、あえなく断念。

思えば、この車を購入し8年目。
北は北海道、南は高知まで。
キャンプに登山にサーフィンにスノーボード・・・ まさに僕のアウトドアの相棒だった。
この7年と9ヶ月間に、走った距離は18万キロ。
ほとんどの人が、『そろそろ寿命だろう。十分走ったじゃないか。』と言うと思う。
イヤイヤ、 しかし、僕はまだ、30万キロくらいまでは余裕でイケルと信じていた。
だが、今後2〜3年で予想される故障個所や交換要部品は、 ミッションのオーバーホールで60万円、タイミングベルト10万円。
ディスクブレーキのローターもそろそろヤバイし、バッテリー、ダイナモ、その他、そろそろ寿命なパーツは数知れず。
ここで、120万円かけて直しても、この後かかる修理代も合わせると、最低でも200万円は下らないだろう。
(もし、ディーラー以外で、ウデのいい安い修理工場が見つかり、そこにに頼んだとしても、やはり100万円は下るまい。)
しかも、『排ガス規制』という、いかんともしがたい法律によって、元々この車は、あと3年しか乗れない運命なのである。

200万かけて修理しても、あと3年・・・。
冷静に考えれば・・いや、どう考えても、買い換えざるをえない状況だよなぁ・・・。


高熱とキビシイ現実に呆然となりながら、僕は、気が付くと、西宮のダイエーで、宝くじを買っていた。
ココまで悪いことが続くと、次は良いことが起こるだろう・・・と、根拠の薄い期待感を持ちつつ。
というか、この絶望的状況の中で、少しでも未来に希望を持ちたかったのかもしれない。(笑)

さて、ど〜しましょう・・・・・・車。

 

 

 

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