隊長の屋外な日々

 

 

2月29日 ハチ北高原ツアー二日目。


翌朝はやはり、雨だった。
皆、ドンヨリと起き、朝食を摂りつつ、今日の対策を考える。
もともと、半分以上宴会が目的(?)で来ていたI上ねーさんなんかは、さらに超テンション下がりまくり。
とりあえず、雨の中を滑るのはかなわんので、チェックアウトギリギリの10時まで宿で粘り、天候の回復を待つ事にした。
幸い、天気予報では、昼からは回復基調。
うまくいけば、昼前には上がるかもしれない。

部屋に帰り、二度寝。
TVでは、先日判決の出た、オウム真理教の特集をやっていた。
ウトウトしつつ9時半頃、 そろそろチェクアウトの準備をせねば・・と思っていたら『雨上がってるよ〜。』の声。
そういや、ずいぶん外も明るくなっていた。
最近の天気予報はよく当たるよなぁ。

チェックアウトを済まし、ゲレンデへ。
おお〜!! 昨日にも増して、土見え見え。(苦笑)
しかも上の方は、霧で真っ白。
そして、まずは、15年ぶりのねーさんの様子を見がてら、ゲレンデ下部をひと滑り。
『な〜んや。ねーさん、バッチリ滑れますやんか〜。』
と言うことで、最上部へ。
しかし、真っ白。
雪質も、まったく良くなく、これでは、視界のある下の方がまだマシだっちゅうことで、下の方を何本か滑って、O泉家と合流し、昼食。

ビールで、まったり。
食後一度外に出たが、また雨が降り出し、今度は酎ハイで、マッタリ。
その後、雨も小止みになり、大会が開かれていたアルペンコースが空いたって事で、そこを数本滑り、本日のスキーは終了。
まるで春スキーのようなハチ北でした。

宿に戻り、温泉に入り、帰阪。
最近は、けっこういい抜け道ができていて、ほとんど渋滞もなく西宮へ。
鳳蘭が社長を務める中華料理屋『萬楽』で、ウマウマ北京料理を食らい、解散。
皆さん、お疲れ様でした〜。

 

 

 

2月28日 ハチ北高原ツアー初日。


最近、雪ネタばかりのような気もするが・・・しかし、まあ、冬だからしょうがない。
雪の季節は短いのである。

というわけで、今週末は、ハチ北。
IOCのテツヤ氏の仕切りで、一泊ツアーである。
メンツは、IOCから、テツヤ氏、僕と同郷高知出身のヨーコちゃん。NOC(西宮アウトドアクラブ)から、I上ねーさん、S藤氏と僕の5名。
ハチ北といえば、関西の代表的な日帰りエリアスキー場であるが、まあ、泊まりになったいきさつには、けっこうな紆余曲折あったりするのである。
まず、現在勤めている研究所が閉鎖することが決定し、就職活動まっただ中のテツヤ氏が、『一度、皆さんでスキーツアーでも行きませんか?』と話を持ち出したのが最初。
で、スケジュールを調整した結果、ヨーコちゃんは土曜日昼まで仕事があるというので、後から追いかけるということに。
ならば、あまり遠方はヤメといた方がイイだろうという事で、テツヤ氏が提案したのは、福井の今庄365スキー場。
しかし、このゲレンデは未だに、関西では珍しいスノーボード禁止スキー場であったのが発覚。(ナイターはOKらしいが)
この時点で、『泊まりは止めて日帰りでもイイか?』という話しも出たが、S藤氏の『体力的に楽な方がイイ。』という意見により、とりあえず泊まりは決定。
では、『神鍋はどうだ?』と宿をあたったら、何やら当日大会があるらしく、どこの宿も満室。
結局、ハチ北に落ち着く事になったのである。(すべてテツヤ氏がやってくれました。御苦労様でした。)
そして当初、テツヤ氏は、『ぼくは一日滑れれば十分だから、後発隊でもいいですよ。』という話だったのだが、ここでまたもや、S藤氏の『どうせ行くなら、2日滑りたいなぁ・・年に一度のスキーだし。』という意見により、先発隊が組織される事となった。
15年ぶりのスキーで、イマイチテンションの上がらないI上ねーさんが、午後発便を選択。(いや、午前中、用事もあったらしいです。)
スキーキャリアの無いハッチバック車のヨーコ号では、3人乗るのはツライだろうと、テツヤ氏は、S藤氏と僕と一緒に、先発隊で行く事にあいなった。
そうこうしているうちに、S藤氏の高校時代からの友人、O泉氏一家も同行(といっても、現地集合)する事になり、ハチ北で2日滑るのも飽きてしまいそうなので、初日は、スカイバレー&東ハチで滑ることにして・・・等とバタバタしつつ、全体のプランが最終的に決定したのは、出発の2日前だった。
そして僕は、3日ほど前から喉が痛くて、薬でごまかしつつ、けこうヤバイ状態のまま、当日・・・
朝、6時半に電話が鳴った。(8時にJR西宮出発の予定だったので、僕はまだ就寝中。)
電話に出ると、S藤氏からだった。
実は、昨日の晩・・・
僕と佐藤氏は、ベトナムで知り合った保母さん(日本人)の、ゴッちゃんとモリちゃん(ゴッちゃんは、体調不良で無念のキャンセルだったが。)天六の香園でウマウマ火鍋をつついていたのである。
結局、店が混んできて追い出され、9時頃解散。
彼はその後、打ち合わせがあると言って、また事務所へ帰っていった。(打ち合わせの後で、また飲んでいたらしい事が、後に発覚。)
・・・って感じだったのだが、『何っすか?』と思ったら・・・
『いやぁ、昨日の晩から、どうも喉が痛いんよ。後発隊で行く事にするわ。』
(・・・ああ、このオチを説明するために、こんなに行数稼いじまったぜ。もう細かくはツッコミません。(笑))
『え〜!そんなんやったら、僕も後発隊にしてもらいたいなぁ・・・』
と思わず口に出てしまったが(喉は、相変わらず、かなり痛かったのだ。)、じっと時計を見て、もうテツヤさんは、家を出たか、出る直前であろうと判断。
ここでのドタキャンは申し訳ない。(車を出す人は、大変なのである。)
天気予報は、明日は雨。
もしかしたら、今日しか滑れないかもしれない・・・という事も頭をよぎり、やはり、僕は、予定通り先発隊で出発する事にした。

中国自動車道から、播但自動車道へ。
朝8時出発なので、当然、午後券狙い。のんびり現地に向かう。
9号線を抜け、スカイバレーの駐車場に着いてみると、ゲレンデサイドの駐車場はもういっぱいで、バス送迎エリアの駐車場だったので、諦めて、ハチ北の宿の駐車場に向かった。
しかし、このエリア、宿の駐車場に駐車する宿泊客からも駐車料金を取るとは、いかがなもんでしょ?

宿に着き、着替えて、ゲレンデへ。
ひとまず、昼食を摂り、ビール。(笑)
テツヤのアニキは500ミリリットル。
外は晴天。雪の照り返しが眩しい。
そして、風邪気味なので、ちょっと厚着をしてみたが、これが激暑。
雪も、けっこう少なくなっているようで、下部では、ブッシュが見えている所もちらほら。
まだ、一応2月なんだけどなぁ。
(写真は、ハチ高原)

ゲレンデは、昨日の晩にけっこう雪が降ったらしく、新雪に少し期待したが、ほぼベタ雪。
それでも、山頂部のはじっこの方には、わずかながらパウダーが。
朝一ならよかったかもね。

山頂部分を数本ヤって、混んでるハチ北から、ハチ高原へ。
稜線のコースは、雪不足でクローズだったので、下りの激怖リフトで降りる。
もう雪は重々だったが、こっちは、ハチ北と違って、なだらかな丘状のゲレンデ。
目の前には、くっきりと氷ノ山。
関西では、数少ない、バックカントリーのできる山らしい。
端の方には、ノートラックの部分もちらほらあり、けっこう楽しめた。
(テツヤ氏、ゲレンデかどうかわからんような所ばっかり連れて行って、すんませんでした。)

リフトでハチ北へ戻り、 山頂付近を数本。
最後は、ちょっと林間に進入し、思いがけずブッシュの中のパウダーに当たり、最後は、 土の見えている下山コースを無理矢理下り、本日は終了。
昼からでも、けっこう楽しめたかな〜。

宿に着いて、即風呂。
ここで、O泉氏とも、いきなりの裸のおつき合い。
実は、昔、O泉氏とは、失踪前のI藤のアニキと一緒に釣りに行ったことがあったらしかったのだが、そんな事も思い出しつつ、ぬるい風呂で微妙に温まりつつ、親睦を深めた。

19時前に、後発隊到着。
早速晩飯で、但馬牛のすき焼き。
部屋に戻り、O泉一家も参加して、さらに飲みなおし。
(一応、酒類持ち込み禁止でした、すいません。)
O泉家息子のツバサ君が、所狭しと仕切りまくり、 大のハワイフリークのO泉夫妻と、ねーさんが、ハワイ話で盛り上がり、やがて、ウクレレなんかも持ち出しの大宴会へと発展した。

初体験のキャビア(偽モノ)を勧められ、最初は断っていたのだが、『あんた、絶対好きやで。』のお母さんの言葉に、
『じゃあ、せっかくだから・・』という言葉が普通に出てきた、7才のツバサ君が、なかなかにステキでしたな。

深夜1時頃就寝。
外は、天気予報どうり、けっこうな雨になっていた。

 

 

 

2月22日 大阪シティハーフマラソン。


ここんとこ、なんだか忙しい。
振り返ってみると、そんなに大きい仕事が入っていたわけではないのだが、なんだかズルズルと・・・もう2月も終わりだというのに、日記の更新が今月はまだ4日のみ。(その分、長いが・・・。)
しかし、こんな所で忙しいと書くと、気を遣ってか、『お忙しいとは思いますが・・・』なんて、枕詞と一緒に仕事をいただく・・な〜んて事も時々ある。
もしかしたら、過去に、余計な気を回して発注を控えた方もおられるかもしれない。(自意識過剰)
しか〜し!考えてもみてください。あなた方の発注あっての、このHPです。
仕事が無くなったら、こんなに遊び回ってもいられませんって。
じゃんじゃん突っ込んで下さいよ〜! お仕事。

と言いつつ、週末は、やはり、常に予定が入っている日々。
21日の土曜日は、知り合いのライブで、ビデオ撮影のお手伝い〜打ち上げだった。
そして、翌22日は、『おたっしゃ隊冬企画。 比良山でスノーシュー!』の予定が、天候があまりにも悪そうだったので、中止。
いやいやホンマ、その日の夜の、あの雷を伴う嵐は凄かった。
もし時間がずれて、あれに、雪山で遭遇した事を考えると・・・背筋も凍るどころではないぞ。
やはり、今年は、もっと隊員のスキルを上げてもらわなければ!!(←そっちへ行くか。(笑))
とにかく、せめて皆さん、地図くらいは読めるようになって下さい。(いや、ホンマに。)

話を戻そう。
で、結局どうしたかというと、最近、BBSでの、「たけちんMOONコーチの強烈ロング書き込み『アノ方ハーフマラソンへの道』」で、局地的に、にわかに人気者になりつつある『アノ御方』の大阪シティハーフマラソン初参戦の冷やかし・・・モトイ、応援に行くことにした。
そもそも、この無謀とも思える挑戦。
ヤツが飲んだ勢いで、『ハーフマラソン出てみようかなぁ。』と、ボソっと言った事に始まった。
そんな面白そうなネタを、ワシが聞き逃すはずもなく、キャプテンT野→たけちんMOONコーチ(←この言われは、彼女の今年の年賀状を見た人にはわかるのだが、でも、できれば見ない方がイイと思う・・・。) とタッグを組み、すべてお膳立てを整え、外堀から徐々に埋めていき、出ないわけにはいかない状態を作り出したのである。
いや、そんな事をしなくても、ヤツは出たのかもしれない。
ヤツも、ヤツなりに人生で色々問題を抱えているので、コレに何らかの願でも掛けていたのかもしれない。
しかし、とにかく、ヤツは、大阪シティハーフマラソンにエントリーし、休日ごとに、血のにじむような(?)トレーニングをし、そして、本番である今日にたどり着いたのである。
マラソンエントリー歴6年4回、その間完走一度も無しのワシとしては、そんなに簡単に完走してもらったら立つ瀬がないのだが・・・といっても、ヤツは、今年に入っての休日だけのトレーニング。 計5回。
それだけ見ると、やはり練習不足の感は否めないのも事実である。(お前が言うなって?(笑))
しかし、ハーフ。
もしかしたら、あっさり完走してしまうかもしれない。
運は天にまかされた。(運かよ!)

車に、本日山で食べるはずだった鍋の材料を積み込み、出発。
いっさい前情報も持たずに来てしまったが、とりあえず、京橋に車を止めた。
10時半スタートの10時頃だったか。
道には、パイロンが置いてあり、もうその辺に、警備員やボランティアの人が沢山いて、マラソンムードは満点だ。
が、スタートやゴール地点もわからないので、とりあえず、人に聞く。
まず、最初の関門が、アノ御方の最大の関門であるという話だったので、ソコを目指して行こうとしたが、警備の人の教えてくれた方向は、目的地と180度逆方向のスタート地点の方角だった。
なんか、おかしいなぁ・・・と思ったときには、10時半。
スタートの号砲が鳴った。

間もなく、車椅子の部の選手がやってきた。
『ゴーーー』と、地面からの震動をカーボンホイールが拾った、独特の音。
自転車好きは、思わずカッチョエー!と思ってしまうね。
実際、ロードレーサー好きなら、一度は乗ってみたい乗り物ではないだろうか?

そしてその2分後、今度はマラソンのスタートの号砲。
本日のエントリーは3000人。
大阪市外の人は、抽選でなかなか出場できないほど、人気の大会らしい。
僕がいたのは、スタート500メートル地点くらい。
大集団がいっせいにやってきて、目を凝らしたが、アノ御方もキャプテンT野も、見つけることは出来なかった。

大阪城内をショートカットして、3.8キロの森之宮方面へ。
ポイントを替えて、何度も応援できるのが、周回コースのイイ所だ。
梅園が美しい。
森之宮方面に出た時には、先頭集団は、ずいぶん前に通り過ぎた後だった。
しかしま、たけちんMOONコーチの話だと、アノ御方は、体力はあるがスピードが無いらしいので、きっとマダ来ていないだろう。
と思って、しばらく見てみるも、見つけられず。
『お?意外と速いのかも?』
そう思いつつ、さて、今度は何処に行こうか・・・というところで携帯が鳴った。
翻訳家さおりんから。
イケメンヒロと一緒に、森之宮駅前で応援しているらしかったので、合流する事に。
そうこうしているうちに、二周目の先頭集団が回ってきた。
もし、第一収容地点で、足切りをクラっていたら、もう、アノ御方はココまでは来ない。
およそこの地点で、スタートから8.5キロ。
お!!キャプテンT野を発見。
先日痛めた股関節が、かなり痛そうだ。
大丈夫か!たけちんMOON!!
そして、それに遅れること・・ずいぶん。
『あ!!!!』
『走ってる!!』
おお、まだ何とか、ヤツは走っていた。
しかも、こっちを見つけ、笑顔で手まで振る余裕があるではないか。
そんな余裕があるなら、もっとペースを上げんか〜!!
ヤツのいた集団が、ほぼ最終集団だった。
その後は、ほとんどグロッキー状態の選手がパラパラといった状態。
しかし、まだ完走の可能性はある。もう少しペースを上げれれば・・・。

しばらくして、 そこに、昨日の打ち上げでビールをピッチャーから直接飲みのパフォーマンスを披露し、少々二日酔いな『つっち』も到着。
応援場所を、北に移動して、最終第六収容地点へ。
ここを通過すれば、もう時間制限は無いらしいので、完走である。
キャプテンT野通過。
足の痛みにも耐え、何とか完走できたようだ。
まだアノ御方は遙か後方だろうと判断し、ひとまずゴール地点に移動し、キャプテンのゴールを見届ける。
いや〜、お疲れさまでした。
ちなみに、故障しつつも彼女の順位は一般の部21位。
ご立派。

第六収容地点に戻り、さあ、次はアノ御方である。
・・・がいつまで経ってもアノ御方はやってこない。
関門の人に残り時間を聞くと、あと6分ほど。
間に合いそうなら、ゲキを飛ばさねば。
おもわず、コースを遡る。
しかし、あと3分・・・2分・・・。
時間は過ぎる。
そして、運命のタイムアップ・・・。
まだ、ランナーは、後から後から、続々とやって来ていたが、マラソンとは無情である。
さすが、時間制限がキビシイと評される大阪シティハーフ。
(帰ってリザルトをチェックしたら、約三分の一が途中リタイヤだった。)
そして、アノ御方はやって来なかった。
しばらくソコで待つも、現れないので、ゴール地点へ。
そこで、アノ御方の行きつけのお店、BULLの面々と合流。
どうやらダメだったかぁ・・・としんみり話していると、アノ御方からの電話が鳴った。
どうやら、第三収容地点(12.5キロくらい)で、無念のタイムアップだったらしい。
まあ、とりあえず『お疲れさん!』。
場所を聞いて、合流。
体力は、まだまだ有り余っている様子だが、やはり、いかんせん、スピードが足りなかったか・・・。
しかし、ホンマに、もう少しのところだったらしい。
そして、ヤツの目には、キラリと光るモノが・・・。
そうかそうか!悔しいか!!
しかし、マラソンとはそんなにアマイものではないのだよ。
ワシを見てみたまへ。
もう4回もリタイヤしても、こうして立派(?)に生きているではないか。
人生、勝って学ぶことより、負けて学ぶことの方が多いのだ!!
(学んでたら4回もリタイヤするか?という説もあるが・・・)

エガガ邸に行き、山で食うはずだった鍋で本日の打ち上げ。
あらためて、お疲れさま〜。

ちなみに、ヤツは出場前、行きつけの店『BULL』で、イケメンヒロに、エエ格好して『完走できるまで挑戦し続けたい!!』等と、のたまっていたそうである。
そう。また、酒の席での話し。
懲りないのは、ヤツの魅力でもある・・・と言っておこう。

 

 

 

2月15日 バックカントリーツアー二日目。


翌朝は6時半頃起床。
窓を開けると、天気予報通り、けっこう雪が積もっていた。
10〜15センチくらいか。

7時から朝食。
そうそう、宿のことをもっと書こう。
(→部屋の窓からの景色)
この2日間お世話になったのは、白馬みそら野地区の『ロッジ山麓館』さん。
宿主は、まさに『白馬マイスター』といった感じの、ヒゲでロン毛後縛り・・・ん?(笑)
後で調べてみたら、白馬マイスターとは、村内で、様々な分野で卓越した技術や知識を身につけた人に、白馬村から送られた称号らしい。
ここのマスターは、山岳&里山ガイドのマイスター。
こういうペンション系のご多分に漏れず、内部には、手作り感満載なインテリアや自ら撮ったであろう写真や絵が飾ってあるのだが、それもイヤミが無くけっこうな完成度。それを上手に配してある。
白馬47スキー場には送迎1分。
夕食は、コース形式。魚に肉、ボリューム十分。味も合格点。
朝食は、コーヒーに、おかわり自由の温かいパンにハムに卵にサラダ。
閑静な別荘地の中にあり、落ち着く良い宿である。
また行ってもいい宿ですな〜。

朝食を終えて、部屋で荷造りを済ませ、宿を出ようとしたのが8時前。
今日の昼食を仕入れなければならなかったので、とりあえず、荷物を積み込みコンビニへ・・・と思い、外へ出てみると
そこは、今朝、窓の外を覗いた印象以上に大雪だった。
25〜30センチは積もっていただろうか。
お陰で、車を掘り出すのに30分弱もかかってしまい、コンビニに着いた頃には、白馬47の集合時間の8時半だった。
ガイドの滝本氏に電話。
すると、『いいですよ〜。雪で、こっちも、今ゴンドラが試運転を開始した所ですから。』との返事。
そうそう、今回お世話になった『ブルークリフ』さんの事も少し書いておこう。
ブルークリフさんとは、カメラマンでもある滝本さんを代表として、白馬をベースに、バックカントリーやクライミングのガイドをしている人たちである。(ちなみに、滝本氏も、白馬マイスターである。)
大人数の決め打ちツアーと違い、高いガイドレシオで、その日の参加者の力量にあった、適切なポイントに案内してくれる。まことにありがたいガイドなのだ。

しかし、本日のワンデイツアーは中止であった。(涙)
強風で上のリフトが動かないのと、昨晩からの積雪量、これから悪化するであろう天気予報と、僕らの技術を照らし合わせた結果であろう。
まあ、仕方がない。お天気には、逆らえない。
で、今日は、代わりに、ゲレンデ回しのパウダーガイドに変更となった。
本日のガイドは、滝本氏と、昨日もお世話になった内田裕也高木氏。
『ゲレンデ滑るのに、ガイドがいるのか?』と思われる方もいるだろう。
しかし、これが大要り。まあ、とにかく続きを読んでくれたまへ。

まずは、ゴンドラで中腹まで。
そこから上のクワッドリフトは、まだ動いていないのだが、何と、それに列んで、動き出すのを待つ。
たとえゲレンデとはいえ、パウダーを滑るのには、それなりの努力が必要なのだ。
実は、もうけっこうな人数が列んでいた。
そして、動き出さないリフトの前で待つこと20分。
リフトと同時に、一斉に、列が動き出す。
みんな目が血走っているぞ〜。(笑)
そして、そのリフトが何度も止まる。
我先にと急ぐあまり、どうも乗り込みが混乱しているようだ。
パウダーを求めてわざわざ列ぶくらいなんだから、皆さん、スキーやボードの腕前は、それなりのハズなのに・・・ゲレンデパウダーとは、そういう人が理性を消失してしまうほど貴重なモノなのである。

リフトを降り、向かったのは、ルート3と呼ばれる上級者コース。
最大斜度30度以上。(だったかな?)
圧雪→コブなら、けっこうな難コースだと思うが、しかし、パウダーならば、まさにベストチョイス。(パウダーは、スピードが出ないので、逆に、斜面がユルイとつまらない。)
もう何人かは滑った跡があったが、それでも、端っこはノートラックだった。
もう・・・『サイコ〜!!!!』っす!
思わず声が出ちまったっす!!
気づけば、このコース全体に、笑い声や叫び声がこだましていた。
こんなに人の声の聞こえる楽しげなゲレンデも、そう無いかも。(笑)
そして次は、クワッドにもう一度乗り、林間コースショートカットするツリーラン。
このエリアは、暗黙のコース外滑走可だそうで・・こんなに大手を振って、コース外を滑れるのも、けっこう快感である。
しかし、ガイドの有難味は、それだけではなかった。
先頭でコースを示してくれるのは勿論だが、ハマってしまった人を、後でしっかり救出してくれる人がいるのが、どんなに心強かったか。
ヨー女史なんか、かなりお世話になったはず。(笑)
パウダー用のギアでなくて、一本目は、けっこう苦労していたタツミ氏もポル氏も、徐々パウダーの滑り方を掴みつつあるようだ。
実は、バックカントリーに行くより、こっちの方が、パウダーの練習には良かったかもね。

またクワッドで上がり、今度は通称ルート2.5。
これは、ルート2と3の間の林間である。
『ここは、右の方にあまり行くと、崖から10メートルほど落ちますから・・・まあ、落ちても、この雪だったらびっくりするくらいでしょうけど。(笑)でも、救出も大変ですし、気をつけて下さいね〜。』
と、滝本氏。
ムム。のぞき込むと、ここはかなり急。
しかし、パウダーは、度胸である。(基本的に、度胸無いけど。(笑))
ヘタに途中で止まろうとボードを横にすると、自分で巻き上げた雪で、いっさい前が見えなくなってしまうし、止まってしまえば、ボードを掘り起こさないと、再び発進する事さえできない。
『ひゅ〜!!』声を出し、気合いを入れつつ、一気に下り降りる。
急斜面に、ノーズは、明らかに雪面から飛び出している。
気分的には、 雪面に接しているのは、後ろ足から後方のみ。
雪面に直角にボードが立っているようなイメージだ。
落下するように、一気に滑り降りた。(つもり)
イヤ〜、来て良かったよ〜!!白馬!

次もまたクワッドに乗り、五竜へ滑り降りるアドベンチャーコースが開くのを待ったが、結局、午前中では開かず、そこで、極寒のビーコントレーニングをして、本日のゲレンデパウダーガイドは終了。

ブルークリフさん、この2日間、大変お世話になりました〜!!
まおたよろしくお願いいたします〜。

その後、ガイドステーションで、昼食を摂った後、やっと開いたというアドベンチャーコースへ向かうも、もうすでにコースはズタズタ。
やはり、一番に滑らなきゃダメだねぇ。
47と五竜をそこそこ滑り、僕らの白馬バックカントリー初挑戦は終わった。

本格的なバックカントリーツアーが出来なかったのが、心残りではあるが、それはそれ。
『白馬のパウダーは、やはりすばらしい!』の思いを胸に、再びこの地を訪れる事を、固く心に誓った。

今年中に、何とか、白馬、バックカントリーリベンジしたいなぁ。

 

 

 

2月14日 バックカントリーツアー初日。


13日夜、19時頃。
今にも雨が降りそうな天気の中、いや、もうポツポツ降り出したか。
二月もまだ中頃だというのに、ここんところ、ずいぶん暖かい。
山の天気はどうだろう。
さて、そろそろ出発である。
前にも日記で触れていたが、いよいよ、今年のウインターシーズン最大のイベント、バックカントリーツアーの日がやってきたのだ。(バックカントリー→1月8日の日記参照)
今回集まったメンツは、計4人。
ポルチン氏、Y本ヨーさんと、ヨー女史の大学時代からの友人タツミ氏と僕。
予定としては、初日は、午前中半日パウダーガイドで、それは、バックカントリー入門コース。
翌日は、本格的ワンデイツアーに参加する・・・そんな感じ。
そして、金曜日のこんな時間に出発のワケは、現地で1.5泊するから。
深夜に着いて、宿に泊まり、翌朝は睡眠十分で朝食も食って山に繰り出そうという魂胆である。
なんせ、翌日は、半日とはいえ、パウダーガイド、ゲレンデでは無いところに、板を担いで登山するのだ。
睡眠不足では心許ない。

結局、何だかんだで、20時前頃の出発になってしまったが(皆さん忙しい中、十分優秀である。)早速出発。
宝塚から高速に乗り、京都の手前に来た頃には、もう大雨になっていた。
今回お世話になるガイドの『ブルークリフ』さんのHPでは、今年の白馬は大雪で、パウダー天国だという話だったが、こんな天気でも大丈夫だろうか・・・と思いつつ、西村重蔵話しなんかで盛り上がりつつ、長野道豊科インターを降りたのは、午前1時。
そこから宿に電話して、現地に到着したのは午前2時。
見上げると、白馬は満天の星空だった。


翌朝、7時半起床。
快晴。
エエ感じの朝食をしっかり摂り、宿のワンボックスカーに乗せてもらって白馬47ゲレンデへ。
今日は、パウダーガイド。バックカントリー入門編だ。
リフト乗り場横のガイドセンターで、レンタル装備をひととおり受け取り(僕はレンタル無し。←自慢)、装着した後、今日のガイドさんと、同行の方々を交えて自己紹介タイム。
僕らのようなグループ、カップル、男二人組、女性一人での参加の人もいる。
総勢ガイドも入れて11名。
いっぺんに言われても、覚えられるモンでもないのだが、これが、以外と大事。
誰かがいなくなった時に、誰も気づかない・・・なんて事になっては困るしね。
さらに、人数が多いので、バディ(相棒)を決め、お互いに確認を取り合う体制を取った。
そう、これから行くのは冬山。
僕らはパーティなのである。

ゴンドラ、クワッドリフト、ペアリフトを乗り継ぎ、最上部へ。
ここから、いよいよハイクアップ開始だ。
ボードをハズしザックに留める。
そして手にはストック、足にはスノーシュー。
う〜ん。なんだか、優越感。
周りの視線が痛いぜ!(って、単なる物好きとしか見られていないかもしれないが・・・(笑))

といっても、いきなりガシガシ登るわけではない。
まずは足慣らしがてら、小高い丘に登り、そこで、ビーコントレーニングである。
そうだ、今日は、こういう特殊道具の使い方とかも、バッチリ覚えて帰らねば。
ちなみに、ビーコンとは、雪崩三種の神器(ビーコン、ゾンデ棒、ショベル)の一つで、雪崩に埋まった時の発信器&受信機である。
まずはコレがないと、埋まった人を探し出すのは、とうてい不可能。
そして、これを使いこなせているかどうかで、生存の確率が大きく違ってくるのだ。 (当然、使いこなせている人は、発見が早い。)
結局、買ったけど、使用説明書読んでも、よくわからんかったしなぁ。(笑)
一個だけでは、練習もできんし。(送信と受信の2コ無いとね。)

まずは、ガイドのカズさん(この人は、この業界では、けっこう有名人らしい。)に、使い方の説明を受け、とりあえず、実践。
もう一人のガイド、内田裕也似の高木さん(?)が埋めたビーコンを、みんなで探す。
僕の持っているビーコンはデジタルなので、比較的探すのは簡単だが、他のレンタルのヤツはアナログなので、使い方は、かなり難しいようだ。
実際、このビーコンという道具。
使っていると、かなり奥が深い(?)道具のようで、とにかく、「使いこなす」なーんてレベルに到達するには、かなりの熟練が必要なのだそうである。
最近は、かなりいいヤツ(使いやすい)も出てきたらしいけどね。(でも高価)

質問なんかもしちゃったりしたりした後、さて、いよいよ登山開始。
(←この山に登る。この日は、右のピークの少し下のオープンスペースにドロップした。)
下はかなり暖かかったが、さすがにココまで登ってくると、気温も低い。
しかしお陰で、心配していた雪質も、そんなに悪く無さそうだ。
3〜5メートル間隔を空けて、一人一人歩く。
これも山のルール。
固まって歩くと、それだけ雪面にダメージを与えてしまい、雪崩を誘発したりする可能性があるからだ。
それに、もし雪崩に巻き込まれたとしても、離れて歩いていれば、全滅は免れ、残った人が救助にまわる事もできる。
なーんて言いつつ、ヨー女史は、はじめてのスノーシューに、かなりはしゃぎ気味。
一人だけ、トレース以外の所を歩いたりしていた。
気持ちはわかるが、体力の無駄遣いだぞ〜。
しかし、無駄度合いでは、この雪山に電子辞書を隠し持ってきていた、ポルチン氏の方に軍配が上がるだろうけど。(笑)

一汗かいた頃。本日のドロップ地点(滑り始め地点)に到着。
しかし、ココでも、すぐに滑り出すというワケにはいかない。
しなければならないのが、ピットチェック。
ピットとは、穴の意味。
文字どうり、これから滑ろうとする斜面に穴を掘り、断面から、そこに積もっている雪の性質を測ろうというわけだ。
まあ簡単に言うと、雪崩度チェック。
ここで、斜面のコンディションを見極め、滑っても大丈夫かどうか決定する。
ゾンデ棒で測ると、積雪は5メートル以上。
まず、断面の上の方から、順に水平に手を差し入れ、各層の雪の堅さを見る。
次に、 ショベルで作った雪の柱を上から叩いて、その雪柱の崩れ方を見る。
あっさり崩れたなら、もの凄く危険。
ここからのドロップは即中止。ただちに、今いる斜面から立ち去った方がいい。
ちょっと危ないな・・・といった感じならば、なるだけオープンバーンは滑らないようにして、ツリーラン(林の中)に切り替え。(林間ならば、木がアンカーの役目を果たし、比較的、雪崩は起きにくい。)
幸い、今日の雪面は、安定しているという判断。
オープンバーン滑走のお許しが出た。

ジャンケンで、滑る順番を決める。
皆さん、この、ノートラックのパウダースノーを求めて、わざわざこの白馬までやってきたのだ。
滑る順番は、重要。
(雪崩の危険性があるので、一人一人滑るのがルール。)
しかし、僕のような初体験者は、まずは皆の様子を見たいような気もするよなぁ・・・。
といった感じで、僕とポル氏は、丁度イイ3組目。
まずは、ガイドの内田裕也高木さんが滑り降り、
ココより下に降りないように、とりあえずの到着場所を設定。
そして、先鋒は、タツミ氏とヨー女史。
(←ヨー女史。この斜面を滑り降りるのだ。)
タツミ氏は、 コブ斜面もなんのその、激ウマスキーヤーなのだが、このような本格オフピステ(圧雪していないエリア)を滑るのは初めて。
おお、なかなか苦労されてますな〜。
続いてヨー女史。
彼女も、ゲレンデではバッチリ滑れるのだが、パウダーは初めて。
実は、前もって、ブルークリフの滝本氏に、パウダー初心者である事を告白したところ、『今日のパウダーガイドで様子を見て、ダメなら、翌日のワンデイツアーは置いていく。』と、冷たい告知を受けたらしい。
実際、パウダースノーでは、ボードより、スキーの方が数段難しいのだ。(と思う。)
板も、二人とも普通のアルペン系の板だしなぁ。(パウダー用の太い板というのがあって、それなら、断然滑りやすいらしい。)

そしてついに、僕らの順番が来た。
まずはポル氏がドロップ。
『ひゅ〜!!』 ハデなスプレーに、思わず後からも声が上がる。
(→写真は、ガイドのカズさん。スキー。激ウマである。)
そして、緊張しつつ、僕の番。
ポンと飛び跳ね、ノーズを斜面に向けると、す〜っと、ボードは音もなく滑り出す。
そして、スピードに乗ると、浮いてくる。
ターン。
少し踏み込みつつ、身体を倒すと、右足の下から大きく舞い上がったスプレーが、視界の端にに入る。
またターン。
雪に押し返されるように、ふわりと浮き上がり、抜重。そしてまたターン。
すべてが音のない世界。(パウダー!!)
圧雪されたゲレンデでは絶対に味わえないこの浮遊感。立体的動きこそが、パウダースノーの最大の魅力だ。
ターン5回。
小一時間の登りがもたらした至福の時間は、たったの十数秒。(笑)
もっと強気に攻めれば良かったかなぁ・・・な気持ちも少しあるが、 しかし激しく満足したぞ〜。

斜面をトラバースし、地蔵の頭のケルンまで。
そこで、とりあえずの解散。
レンタルのある僕らは、ガイドさんに付いて、ガイドセンターへ向かい、昼食。
いやいや、もの凄く密度の濃い、午前中だった。
午後は、残った一日券で、白馬47と隣の五竜を滑り、その日は終了。
ゲレンデ下部は、もの凄く暖かく、雪質はかなり悪くなっていた。

宿の車が突如故障で、シャトルバスにて宿に帰るハプニングなんかもありつつも、無事宿に帰り、速攻で風呂。
立派なコース料理に舌鼓を打ち、ワインなんかも飲んだ。
その後、宿のくつろぎスペースで、スノーボードのビデオなんかを見つつのんびりとすごす。
この宿、こうして見ると、かなり広い。
暖炉や炬燵なんかもあり、なかなかにくつろげる宿だ。
部屋に帰り、先日届いたばかりの、北嵯峨酒造りの会の、非売品激ウマ新酒『げっしょう』を嗜み、就寝。
外は、静かに雪が降り出していた。
明日は、ワンデイツアー。
天気は、心配だが、 朝から夕方まで、バックカントリーの予定である。

 

 

 

2月8日 マラニック。


マラニック。
まず、ほとんどの方々が、初めて聞く言葉だと思う。
ある言葉と、ある言葉をつなぎ合わせた造語。
しかし、試しにGoogleで検索してみると、あっさり5000件近くヒットする、その業界では、超メジャーな言葉である。
マラカス+クリニック・・・ではない。(意味不明だし。)
答えは『マラソン+ピクニック』。
読んで字のごとし。マラソンとピクニックを合わせたスポーツである。
大きく分けるとウルトラマラソンのジャンルに含まれるらしい。
(ちなみに、ウルトラマラソンとは、簡単に言うと、42.195キロより長い距離を走るマラソンの総称。)
競技としては、ウルトラの距離を、タイムを競わず、景色やエイドを楽しみつつ完走目指して走る・・・といったモノを指すようである。
(もっと凄いのに、『ジャニーラン』というのもあって、それは、500キロや1000キロといった距離を、何週間もかけて走るらしい。もう何と言っていいやら・・・。)
しかしま、もっと軽い意味で、トレイルやロードなど、好きなルートを、歩きや休息を入れつつ、ピクニック感覚で1日かけてランニングする・・・といったトレーニング用語としても使われるようだ。

そんな『マラニック』のお誘いをいただいたのは、つい先日。(もちろん、後者の軽いトレーニングの方である。)
話を持ってきたのは、キャプテンT野。
実は彼女が、ジム仲間のウルトラ叔母(ウルトラ的にオバサンというワケではなく、ウルトラマラソン大好きという意味ですよ。)、H笠さんから声をかけていただき、現在、大阪シティハーフに向けて、猛トレーニングに励んでいる(ハズ)のアノ御方のトレーニングと抱き合わせ企画も含めて、僕にもついでに話が回ってきた・・というわけだ。
目的地は、高槻北部のポンポン山。

朝9時に、JR高槻駅に集合。
そこには、キャプテンT野を含めて、ずらっと10人ほどのトレーニングウエアの集団がいた。
聞くと、皆さん、ウルトラ系の凄い方々。
主催者のH笠さんなど、翌週末は、長崎で160キロを24時間で走り抜くという、超ウルトラマラソンにエントリーしているらしい。
『身体が壊れる前に、頭が壊れているのでは?』
と、思ってしまうほど、 一般人から考えたら、とても正気の沙汰とは思えない、驚愕の行為であるが、それだけ、長距離を走ると言うことは、魅力のある事なのであろう。
業界では、こういう人たちのことを、親愛の意味を込めて『ランバカ』と呼ぶ。
残念ながら、未だフルマラソンすら完走できない僕にとっては、全くの未知の世界だよなぁ。
それより、大丈夫なのか?そんな中に入って走って。

バスにて登山口まで行く組みと、駅からスターと組の二組に分かれ、スタート。
といっても、バス組は、ランニング初心者で、体力に不安アリまくりのアノ御方と、ベテランの叔母様二人。(しかし、この方々も、80キロ等の、ウルトラマラソン完走者。)
そして、何故か僕は、駅からスタート組み。
総走行距離20キロ弱。しかも山・・・。ますます大丈夫なのか!?の感がつのりつつも、一団は走り出した。
ペースは、あくまでも、ゆっくり。
しかし、福知山以降、ほとんど走っていない僕にとっては、これ以上のスピードは、ちとキツイくらい。
緩やかなバス道の登り。
これで、もうすでにけっこうシンドイのだが、こんなモンでネを上げるのも、みっともないので、やせ我慢しつつ、摂津峡上ノ口バス停で、小休止。
この間2.5キロ。汗が噴き出る。
しかし、すぐにリーダーのH笠さんから『すぐ出発!休むと余計にしんどいよ!!』との号令。
さすがはウルトラ叔母。かなり体育会系である。
しかし、この行為の何処に『ピクニック』があるというのだ?(笑)

間もなく、右折。神峰山寺方面へ。
ここからは、登りもきつくなり、舗装路ながら、本格的な登山になってきた。
否応もなく、ペースは落ちる。が、付いていけないわけではない。
というか、他の皆さんの方が辛そうにも見える。
特に、O崎氏という、6ヶ国語をも操り、ニュージーランドに別荘を持っている貿易関係の会社の社長さんは、カナリしんどそうだ。
一応、彼が一番弱い事になっているようで、皆さん、気を遣いながら、所々で彼が追いついてくるのを待ちながら進む。
しかし、実は彼も、フルマラソン完走者。
長距離を走らせたら、僕よりも明らかに強いのである。
う〜む・・・実はワシって、長距離向きの体質ではないのかも・・・。

心臓破り(と呼ばれているらしい)の坂を登り、本山寺で、また小休止。
ここからは、ホントの山道。シングルトラックの登山道である。
比較的平らな所では走り、登りが急になると歩き。
さすがに高度が上がると寒いが、天気は上々。
途中、バスにて先発の叔母様Aを追い抜き、順調に進む。
そろそろ頂上かと思ったその頃、山頂方面から、眉間にシワを3本入れつつ、爆走状態で下山してきたアノ御方とすれ違った。
『寒いっす〜!!先降ります〜〜!!!』
何と、ヤツは、もうとっくに山頂に着いていたようである。
予定では、そろそろどこかでヘタリこんでいてもおかしくないハズなのだが・・・。

頂上には、間もなく着いた。
しばらくすると、他の皆さんも続々と到着。
アノ御方と一緒に、バス組だった叔母様達とも、そこで合流したのだが、 何故か不本意な事に、アノ御方の評価が妙に高い。
『バスやって言うから・・でも、なんや、無茶苦茶強いやんか。』
『山岳会(おたっしゃである)に入ってるんやって? そりゃ山はお手のモンやねぇ。』
『六甲一周(全縦の事であろう)も出たんやって? 強いはずやわ。』
どうやら、よけいな事まで口走っているようだ。(って一応事実だが。)

冷えてきたので、記念写真を撮り、下山。
早速、先に下ったアノ御方を追いかけたのだが、どこまで下っても、追いつかない。
そうだ、そう言えば、ヤツは、おたっしゃキッてのクダリスト(下山家)である。
とにかく下りは、メチャ速いのだ。
結局、追いついたのは、本山寺もずいぶん過ぎて、神峰山寺手前であった。
しかも、道を間違えたかと思い、ずいぶん引き返してきたのだそうだ。
そして、合流後も、ヤツはズンズン下って行き、あっちゅう間に見えなくなってしまった。
『なんや! 足、余っとるやないか〜!!』 罵声が飛ぶ。
つまらんなぁ・・・。こんなんだったら、駅スタート組みに入れれば良かったか?

そんなアノ御方はほっといて、神峰山寺の茶店にて、ぜんざいで小休止。
冷えて疲れた身体に、激ウマ。
足の余りまくりのアノ御方を携帯で呼び出し、ぜんざいを餌に、またここまで引き返えしていただく。
トレーニング、トレーニング。(笑)
そうこうしているうちに、メイン集団に追い抜かれたので、アノ御方がぜんざいをたいらげるのを待って、再出発した。
摂津峡付近の温泉が今日のゴールで、そこまでの距離、残りおよそ5キロ。
実は、下りで、かなり足にキていたのだが、 フルマラソンエントリー歴6年・4回。 初心者のアノ御方にだけは、負けるわけにはイカン!!
と、残りは気力で走り、何とか、摂津峡花の里温泉祥風苑に、面目を保ちつつ、到着した。

温泉で汗を流し、送迎バスで高槻へ。
俄然元気になっ、たニュージーランド別荘のO崎氏が、『ビール!ビール!!』と仕切り、居酒屋のような所で、乾杯と相成った。
『いやいや、本日は、お疲れさまでした。』
徐々に親睦も深まり、聞くと、皆さん、すばらしい戦績の持ち主ばかり。
ウルトラ出まくり走りまくりの人や、世界中の市民マラソン大会に出てるのではないかという人。
皆さん、ホンマに、走るの好きなんですなぁ・・・。
しかし、そんな凄い人たちをもってして、 この席でも、アノ御方の評価はうなぎのぼり。
というか、僕すらも、必要以上の好評価。
『まだ、マラソンを完走した事が無い。』と言っても、ほとんど信用してもらえず、『真面目に走らなかったのでは?』とまで言われる始末である。
とにかくアノ御方もろとも、『絶対完走できる!!』と、念を押されるように・・・もう、ほとんど誉め殺し状態であった。
さすがは、マラソン系。
これが、噂に聞く、小出監督方式か?
最後は、O崎社長に、ご馳走にまでなりました。
皆さん、ありがとうございました。

しかし・・・う〜ん、何だか、次回は完走できそうな気がしてきたぞ。(笑)

 

 

 

2月1日 東京最終日。


ひとまず東京に帰ってきた。

9時も回った頃、ノソノソと起きだし、今日の予定を考える。
当初の予定だと、今日は昼から知り合いのデザイナー、I出良氏に会って、ランチ。
晩は、D印刷のI頭氏と会う予定だったのだが、昨晩電話をしてみたら、何と!なんだか急な成り行きで、今週末彼は大阪に帰っているとの事。(笑)
だったら、『せっかくだから飲みましょか〜?』と、I出良君に会うのを晩にずらして、今日の昼間が空いてしまったのである。
とまあ、そんな事を言いつつも、結局東京散策。
おのぼりさんには、これが一番有意義(?)な時間の使い方だろう。

まずは、池袋へ。
東京名物『行列』を体験しようと、ガイドブックに載っているラーメン屋へ向かう。
しかし、一番人気のお店は、お昼時を過ぎた平日(15時前)といえども、予想以上の長蛇の列だった。
列びに来たとはいえ、ゲハヘには、ちょいとこの先の見えない超行列はキツイ。
しょうがないので、軟弱にも、すぐ近所の別のラーメン屋へ。
といっても、ココもガイドブックに載っているお店で、行列が無いというわけではない。
ほぼ10人待ち程度。
食券を買い、20分ほど待って、ラーメンにはありつけた。
店の名を冠した、一番スタンダードなヤツ。
出てきたモノは、コッテリトンコツ醤油背脂チャッチャ系。
コッテリ好きには、けっこうストライクなラーメンだ。
が・・・味はまあ、普通・・・いや、どちらかと言うとイマイチか。
これなら、大阪のチェーン店『よってこや』(同じ背脂系。ちなみに、大阪王将系列会社)の方が美味いね。
う〜む、やはり、長蛇の列に並ぶべきだったか。
しかし、どうでもいいけど、王将さん。
『よってこや』で、あの味が出せるなら、何故、王将のラーメンは、あんなに不味いのですか?

気を取り直し、今度は、池袋の重要文化財『自由学園明日館』へ。
帝国ホテルも手がけた、建築家『フランク・ロイド・ライト』の設計による、私立学校校舎である。
高さを押さえたプレイリースタイルを踏襲し、古いのに近代的とも言える造形。
窓枠や、明かりの意匠もすばらしい。
いやガイドブックの受け売り(笑)でも、ホントに、そのままの素直な感想。
ライトの設計の建物では、近いところで、芦屋の『ヨドコウ迎賓館』等があるらしい。
また、機会があれば行ってみるか。

池袋で正当派アートを堪能した後、今度は、オタクとカオスの街、中野へ向かう。
そして、その中心的存在でもある『中野ブロードウエイ』へ。そこは、まさに、ディープでマニアックな世界。
まんだらけの本店があるので、漫画愛好家の間では超有名な所であるが、漫画だけではなく、マニアと名の付くあらゆるジャンルのお店がB1〜4Fまでひしめき合っているのである。
古本、テレカ(市場もまだ存在するらしい)、ミリタリー物、オーディオ、雑貨、映画、コスプレ、フィギア、セル画などなど。
怪しさ満開。
アングラ専門店長セレクトショップや、2チャンネルグッズ自動販売機なんかもあった。
僕は、戦隊モノとか、フィギアには、そう興味がないのだが、そういう人には、ココは天国かも。

そして、ブロードウエイから一歩外に踏み出すと、ソコはまるで1970年代。
四畳半フォークの世界をセットにしたような町並みが広がっていた。
中野、恐るべし。
しかし、東京をウロウロしていると思うのだが、こっちの方が、大阪より、こういう古い町並みが沢山残っているような気がするのは、気のせいだろうか?
イヤもしかしたら、普段僕が、大阪でそういう所へ行っていないだけなのかもしれない。
久々に、新世界でも行ってみるか〜。

再び電車に乗り、青山一丁目へ。
そこで、18時に、デザイナーのI出良君と待ち合わせ。
I出良君とは、つい去年まで、大阪で仕事をしていたのだが、一念発起して、東京へ新天地を求めてきた、若きデザイナー。(僕より10才下だったかな?)
昔は、彼のいたプロダクションと一緒に、日本海にキャンプに行ったり、スノーボードに行ったりなんかした事もあったよなぁ・・・。
駅を降りて彼に会う。
『いやいやお久しぶり。』
どこかで一杯・・・と思ったが、お互いの交通の便だけで決めた日曜日の青山一丁目には、居酒屋の陰すら無く(笑)、改めて渋谷に出る事にした。
一転、渋谷は、人人人!
街中が、朝のラッシュアワーの地下鉄新御堂筋線のホームのような混雑ぶり。(ちょっと大袈裟に言ってみました。)
人の流れに揉まれながら、適当な居酒屋へ。
ビールで乾杯。お互いの近況報告。
『どうだい、東京の仕事は〜。』ってな感じである。
大阪にいた時から、そうだったのかもしれないが、彼のデザインに対する真面目で前向きな姿勢は、僕のように、ヤッツケ仕事にまみれてしまったイラストレーターなんかには、もう、眩しい限りである。
東京に来て、またその輝きが増したんじゃないかい?
22時頃まで一緒に飲み、店を後にした。
いやいや、久々に、人に晩飯オゴっちゃいましたよ。(笑)


翌朝、新宿で、少々道に迷いつつ、朝からバスで大阪へ。
帰ったら、長々とファックスが来てて、ちょっと焦ったが、何とか、問題なく(?)クリア。
いっさい仕事をせずの、一週間でございました。(笑)

 

 

 

日記TOPへ


TOP

 

inserted by FC2 system